第3節 国内市場の急伸長とレクサスの開発

第1項 国内販売250万台を達成

高級車ブームへの対応

トヨタは1987(昭和62)年8月に投入した8代目のクラウンで、V8型4,000ccエンジン搭載モデルや2,000ccの3ナンバー・ワイドボデー車など、高級車ブームを勝ち抜くための新たな商品戦略を打ち出した。電子制御サスペンション(TEMS)やトラクション・コントロール・システムなどの採用で乗り心地や走行性能を格段に改良し、新たなお客様の開拓を図る戦略であった。

日産自動車が1988年に発売した高級車のシーマは中高年層を中心に爆発的な人気を博し、「シーマ現象」としてバブル経済期における高額商品ブームの象徴ともなった。しかし、1988年の販売実績ではクラウンが約4万7,400台と、シーマを1万台余り上回っており、その後も常にクラウンがリードした。また、同年1月の販売実績を見ると、ベストセラーの常連であったカローラをクラウンが抜いて1位になるなど、高級車需要は過熱していった。

1989年10月にはクラウンを超える高級車としてセルシオを発売した。車名の由来は、ラテン語で「至上」や「最高」を意味する「CELSUS(セルサス)」である。セルシオは同年に米国で創設した高級車販売網「レクサス」の最上級車「LS400」であり、開発に6年の歳月をかけ試作車は450台にものぼった。高品質なつくりで加速性や静粛性などに高いポテンシャルを持つセルシオは、日本でも瞬く間に予想を超える受注を獲得し、納車まで1年近くを要するほどの人気を得た。

このセルシオから全体のデザインを楕円で統一した新たなエンブレムマークを採用した。トヨタブランドの先進性と信頼性を象徴するデザインとして、楕円の2つの中心に「お客様の心」と「車づくりの心」を託し、2つが一体になって生まれる信頼感を表した。

この時期、大衆車として長年人気を獲得してきたカローラについても高級車の要素を加え、1987年に発売した6代目モデルではハイメカツインカムエンジンを搭載し、上級モデルにはTEMSなどの先進技術を採用した。さらに1991(平成3)年の7代目モデルでは全長やホイールベースを拡大し、内外装や装備の面でも高級感を強くアピールした。車格を上げることには社内でも異論があったが、上質・上流を目指した7代目モデルは、結果的に大ヒットとなった。

1986年に2代目が誕生した高級クーペのソアラには電子制御エアサスペンション搭載モデルを、1989年発売の2代目カリーナEDにはデュアルモード4WSモデルを投入した。世界初の先端技術を積極導入したこれらの車種も、好調なセールスとなった。

高級車ブームは輸入車にも広がり、1990年には新車登録台数が約22万4,000台と10年間で5倍に拡大した。日本の自動車メーカー各社は1988年から鈴木自動車工業(現・スズキ)がGM車、マツダがフォード車を発売するなど、提携先の輸入車を相次いで投入した。トヨタも輸入拡大への貢献というねらいもあり、ドイツで小型トラックを共同生産していたフォルクスワーゲン(VW)社と1991年7月に日本での販売提携に合意した。トヨタ販売店のなかで扱いを希望する約50社が新店舗「DUO(デュウオ)」を立ち上げ、1992年からVW車・アウディ車の販売を開始し、トヨタは卸売とマーケティング業務で販売活動を支援した。

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