生産復旧への取り組み

生産復旧に向けた取り組みも本格化させ、3月15日には調達本部と生産本部が連携して現地調査チームを派遣し、約200拠点の仕入先訪問を開始した。自動車業界では、地震発生直後に日本自動車工業会の会員各社が被災状況に関する情報を補完・共有する異例の体制も整えた。こうした調査が進むにつれて、部品・資材産業の被害が甚大かつ広域に及び、サプライチェーン(部品供給網)が寸断状況にある実態が明らかになっていった。2次以降のサプライヤーを含むトヨタの仕入先の被災状況は659拠点と、阪神・淡路大震災(1995年)での13拠点をはるかに上回る規模と判明した。

トヨタが調達に支障を来すのは1,260品目で、グローバル生産車両の8割に影響を及ぼすと想定された。仕入先の復旧や他工場への生産移管が急務という深刻な実態が明らかになったのである。これらの品目については、ただちに被災先や生産上の不具合状況、在庫日数などがリストアップされた。このうち500品目については早急に手を打つ必要があり、調達、技術、生技、生産の各本部と当該被災企業だけでなく、他の仕入先による支援も得た対策立案と復旧作業が始まった。被災地での復旧が困難な場合は同業種仕入先の協力による代替品の開発や生産準備も進められた。

豊田章男社長は3月27日から2日間、まず宮城県を訪問してセントラル自動車や仕入先、販売店などの現場を視察し、関係者を激励した。引き続き、岩手、福島、茨城各県にも赴いた。この間、豊田社長は「工場では、機械や設備の音が響き渡るなか、メンバー全員が明るく声をかけながら、モノづくりに励んでいる。販売店では、『いらっしゃいませ』というお客様を迎えるスタッフの元気な挨拶が聞こえる。こうした日常を1日も早く取り戻すことが、被災された皆さま、および地域の『明日への希望』につながると信じて、復興に向けた努力を続けてまいります」と、早期復興への強い決意を表明した。

トヨタの工場の機械音は、徐々に響き始めた。3月28日には堤工場とトヨタ自動車九州が、ハイブリッド車(HV)に限って生産再開に踏み出した。そして4月18日からは低操業ながらも車体メーカーを含む国内の全工場が稼働し、徐々に「日常」を取り戻していった。

同月22日には豊田社長と新美篤志副社長が東京で記者会見し、想定可能な範囲で、生産回復の道筋を示した。国内工場は7月から、海外工場は8月から稼働率の引き上げが可能となるものの、全車種・全ラインでの完全正常化は11月から12月までを要すという内容であった。その後、5月11日の2010年度(2011年3月期)決算発表時には、国内外工場の稼働率引き上げは7~8月から6月に前倒しが可能になったことを明らかにした。

この時点で、供給に懸念のある品目はピークだった3月下旬の500品目から、一気に30品目にまで絞り込まれていた。被災工場の復旧のみならず、代替生産および代替品の開発や迅速な品質評価を含む懸命なモノづくり現場の取り組みが、当初の予想をはるかに上回る復興をもたらしたのだった。そして、7月に入るとまず国内工場が正常レベルに復帰し、9月中には海外を含む全生産拠点がほぼ完全正常化と判断してよい生産に戻ったのである。

大震災後の一連の復旧においては、現地現物、即断・即決・即実行という基本方針で、仕入先や販売店、海外事業体も含むオールトヨタがチームワークを遺憾なく発揮し、当初は11~12月とみられていた正常化へのピッチを速める原動力となった。また、茨城県内の主力工場の被災により自動車各社のサプライチェーンのネックとなっていたマイコンメーカーのルネサスエレクトロニクスの復旧に際しては、自動車業界が一丸となって支援し、9月と見られていた生産の一部再開を6月に前倒しするという成果ももたらした。

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