第2節 モータリゼーションと貿易・資本の自由化

第5項 ダイハツとの提携

1967(昭和42)年6月、日本政府は資本自由化の基本方針を決定した。同年9月の日米貿易経済合同委員会では、米国側から日本における資本取引の自由化促進が要請され、さらに同年12月にはジョージ・ボール前国務次官を団長とする米国自動車使節団の来日が予定されるなど、外国資本の攻勢は激しさを増していった。このため、日本の自動車業界は従来よりもいっそう緊迫した状況のもとで、規模の拡大による国際競争力の強化を迫られた。

このような情勢から、業界再編成がますます盛んに唱えられるなかで、三和銀行からトヨタ自工に対して、ダイハツ工業との提携話がもたらされた。ダイハツは日野の場合とは異なって、生産・販売車種がトヨタとかなり競合しており、それを整理する意向はなかったところから、両者が自主性と責任をもって経営にあたることを前提に、業務提携に合意した。

1967年11月9日、トヨタ自工、トヨタ自販、ダイハツ工業の3社は、業務提携の趣旨を覚書の形で取り交わすことになり、東京都港区のホテルオークラでその調印式を行い、次のような共同声明を発表した。

トヨタ自動車工業株式会社およびトヨタ自動車販売株式会社(以下「トヨタ」という)とダイハツ工業株式会社(以下「ダイハツ」という)の両者はかねてから友好関係を続けてまいりましたが、このたび両者の関係をさらに緊密にするため、業務提携を行うこととなりました。

本格的開放経済を迎えるに当たって、わが国自動車産業の体制の整備と企業体質の改善による国際競争力の強化は極めて緊要なことと考えられますが、両者はこのような立場に立って相互の利益の増進を図るとともに、業界の健全な発展に寄与するため相協力しようとするものであります。

従って、ダイハツはトヨタを中核とするグループの構成メンバーとなりますが、両者はおのおのの特色を生かしつつ、それぞれの経営については自主性と責任体制を堅持して運営することといたします。

なお、業務提携の具体的方策についてはすみやかに委員会を設けて検討のうえ、可能なものから順次実施に移す方針であります。

この業務提携の内容について、豊田英二社長は調印式後の記者会見で、次のような趣旨の説明を行っている。

ダイハツとの業務提携の内容はまだ何も決まっていない。至急、委員会を設けて検討してゆく。われわれの置かれている難しい立場を考え、双方のメリットを出してゆきたい。同業他社がふらついては全体の戦線を乱されるので、トヨタ、ダイハツの提携で外資攻勢に共同の防波提の役を果たしたい。

トヨタは軽自動車部門を持っていないが、ダイハツと共同戦線を張ることでメリットが出てこよう。業界の集約化はこれからもまだまだ進むと思う。

(日刊自動車新聞、1967年11月10日付)

この提携の結果、トヨタグループは乗用車を中心に大型トラックから軽自動車に至る全車種をそろえた総合的な企業グループとしての体制を整え、国内業界の再編成促進に大きな刺激を与えた。業務提携の具体策は専門委員会を設けて推進していくこととし、その後、新車の開発から生産委託まであらゆる分野にわたって提携の効果をあげていった。

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