第4節 石油危機への対応

第5項 FF車の開発

1973(昭和48)年末の第1次石油危機後、急速に高まる省資源・省エネルギーという社会的要請を背景に、トヨタは1974年春にターセル、コルサの開発をスタートした。

日本だけでなく、米国でも主力商品となることを期し、同クラス最高の燃費、コロナクラスの居住空間を持つ軽量かつ経済的な車の開発をねらいとした。1978年度排出ガス規制(国内)、米国排出ガス規制、各国安全規制への適合も開発の必要条件であった。そのため、既存の生産設備、車両ユニットにとらわれず、エンジンはじめ、すべてのコンポーネントを新たに開発することになった。

駆動方式は、室内スペース、軽量化などに有利であることから、トヨタ初のFF1方式を採用した。そして、車両寸法2は、空気抵抗の大きな要因となる断面積を小さくするため、全幅を後席3人乗りぎりぎりに抑えた。室内の前後寸法は、背の高い外国人でも十分に足元のスペースをとれるようにした。エンジンは新開発の1A-U型(1,452cc、80馬力)を縦置きにした。縦置きにすれば、FRのカローラとも共用できるという理由からであった。これにより、外形はカローラより小さいが、1クラス上の居住空間とクラス最大の荷室面積を確保できた。このほか、低燃費を実現するための空気抵抗の減少、各部品の軽量化など、さまざまな努力を積み重ねた。3

1978年8月、ターセル(AL10-Z型)、コルサ(AL10-L型)がラインオフした。省燃費を最優先して開発した車であったが、車両の全幅を抑えたことなどによりスタイルが犠牲になり、国内での反応はいま一つであった。

一方、米国では燃費と室内の広さが評価され、国内で不評だったスタイルも受け入れられた。1979年8月の輸出開始までに改良を重ね、品質面で安定していたこともプラスに働いた。「カローラ・ターセル」と、名前の知られたカローラのネーミングを重ね合わせたこと、2ドアセダンのベースモデルで3,698ドルという低価格を設定したことも市場での評価に貢献した。ターセルの輸出台数は年ごとに伸び、1982年には18万3,000台に達した。

FF車カムリ、ビスタの開発が1977年8月に始まった。GMのFF小型車に対抗して、輸出の次期主力商品とすることを目標として企画に取り組んだ。居住空間は中型車並みの広さをとり、スタイルもワイドトレッドの安定感ある台形フォルムとした。エンジンを横置きにしてエンジンルームを短くし、その分を室内スペースに回した。

エンジンも新しく開発した。このクラスは、国際的に高水準の性能をもった車が多かったので、徹底した小型軽量化と高性能、低燃費を目指した。各種の実験を繰り返し、軽量化技術を織り込んで開発した1S-U型をベースに、これを横置きとした1S-LU型(1,832cc、100馬力)を搭載した。1982年に達成した10モード燃費は14.0km/Lという高水準であった。

駆動系も新たに設計した。トランスアクスルはエンジンと直列に配置する方式とし、シンプルでコンパクトな構造にするため、通常は変速段ごとに3本あるシャフトを1本で済ませるシングルレール方式を採用した。また、抵抗を少なくするため、潤滑油にはオートマチック・トランスミッション用のオイルを使うことにした。こうした経験はFF車をシリーズとして完成する基盤となった。

FF車のカムリ、ビスタは、1982年3月に国内で発売した。また、米国、オーストラリア、ヨーロッパへの輸出は好調で、1983年1月に米国に初輸出したカムリは、1985年には12万8,000台に達し主力商品になっていった。

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