第3節 基礎技術の研究・開発

第4項 機械加工法、工作機械の研究・開発

1934(昭和9)年、トランスミッションの試作を開始し、歯車の加工に着手したが、歯車の形状が不明で、歯車加工機の刃具も何を用いればよいか、わからなかった。豊田喜一郎が友人の東北帝大教授抜山四郎に相談したところ、歯車の権威者である東北帝大の成瀬政男博士を紹介され、同年11月から岩岡次郎1若松辰治2の両名を同大学へ国内留学させることになった。

2人は、まず成瀬博士から歯車理論の講義を聞き、それから持参したシボレーのトランスミッション歯車を解析した。測定装置を備えた機械工場用顕微鏡を用い、1/100mm単位で正確に歯形を測定した。そのデータに基づいて、10倍に拡大した歯形曲線を描き3成瀬博士が確立した理論式により、歯車の形状を確定してカッターを発注した。成瀬博士の理論が実用化された最初の事例であった。4

1934年前半には自動車試作工場に輸入工作機械が設置され、豊田自動織機製作所ではそれらを参考にして、翌1935年から工作機械の内製を始めた。そして、自動車量産用の工作機械や治工具を本格的に製作するため、1937年5月、豊田自動織機製作所内に自動車部工機工場を建設した。

当時の国産工作機械は、多種多様な加工に適した万能型といわれる多種少量生産用が大部分であった。このため、分業化した自動車量産工程では、使われない機能までも備えており、輸入機を参考にして、必要な機能だけに限定した自動車量産用の工作機械や専用機を工機工場で設計・製造した。例えば、工機工場で製造されたA型旋盤は、構造が簡単で、確実かつ軽快な操作性が好評であった。同様にC型旋盤も、生産用旋盤として余分な機構を簡略化し、操作性を重点に設計した点に特徴があった。

このページの先頭へ