第8節 本格的乗用車トヨペット・クラウンの登場
第4項 自動車市場の変化
小型車の需要増大
1951(昭和26)年からの「設備近代化5カ年計画」により、トヨタ自工では1955年に月産3,000台体制が確立し、1956年10~12月期には月産台数が5,000台を超えた。
1951年と1956年との比較で生産実績を見ると、生産台数全体では3.26倍の伸びを示しており、なかでも小型乗用車、小型トラックの伸びが著しかった(表1-43)。これに対して、大型トラックはほとんど横ばいで、生産台数に占める比率を63%から20%へと大幅に後退させた。
表1-43 トヨタ自工の生産実績(1951・56年)
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小型乗用車
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大型トラック
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小型トラック
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合計
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台数
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構成比
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台数
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構成比
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台数
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構成比
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1951年
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1,470
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10.3%
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8,989
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63.2%
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3,769
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26.5%
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14,228
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1956年
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12,001
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25.9%
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9,127
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19.7%
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25,289
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54.5%
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46,417
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増加倍率
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8.16
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1.02
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6.71
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3.26
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豊田英二常務は、設備近代化5カ年計画がスタートした1951年の『トヨタ技術』1月号の「巻頭言」で、「今後の五年間は必ず新しいチャンスをもたらすだろう」と述べている1が、それは、こうした小型自動車の普及を予測したものと思われる。そのチャンスを確実にとらえることができたのは、設備近代化5カ年計画を着実に実施した成果であった。
このような自動車需要の急速な拡大と構造の変化に対応して、販売体制、生産体制を見直す必要が生じた。