第5節 戦時下の研究と生産

第5項 代用鋼の研究

1939(昭和14)年9月の第2次世界大戦の勃発により、ニッケルの需給が世界的に逼迫し、日本への輸入は途絶した。このため、1940年8月20日に商工省は「ニッケル使用制限規則」を公布し、ニッケルの使用を制限した代用鋼の臨時規格を設定した。日本国内では、それに基づき代用鋼が製造されるようになった。

1941年3月19日、日本機械学会機械材料部門と日本鉄鋼協会自動車用鉄鋼材料研究会の連合座談会が開催され、自動車用鋼材を中心に「ニッケルクロム鋼代用鋼に就て」の意見交換を行った。1この会合では、ニッケル・クロム鋼の代わりとして、クロム・モリブデン鋼の利用が討議された。

ニッケル不足の状況はアメリカも同様であり、その対策として米国鉄鋼協会(American Iron and Steel Institute)は、「ニッケル鋼に対する可能なる代用鋼(Possible Substitutes for Nickel Steels)」というパンフレットを発行していた。豊田英二は、これに関する記事2について、1942年6月発行の『日本機械学会誌』にその抄録を寄稿した。このように、外国文献なども参考にしながら、鋼材の研究が取り組まれた。

トヨタ自工では、鋼種の切り替えを目的に、鋼種ごとの熱処理法に関して研究を進めた。具体的には、熱によって組織・性質が変わる鋼の変態点、焼入れ性、焼もどし特性、鋼材の大きさや厚さによって焼入れの硬さや深さが異なる質量効果、焼入れひずみなどの研究を行い、1941年中にニッケル・クロム鋼をクロム・モリブデン鋼に変更した。

その後、モリブデンが不足するようになったため、クロム・モリブデン鋼をクロム鋼に転換する必要に迫られ、1943年ごろにはこの問題も解決した。部品によっては、合金鋼から炭素鋼への切り替えを研究し、さらにクロム鋼も不足してくると、すべて炭素鋼に切り替える実用化試験を行った。

このような研究を通して、各鋼種本来の性状が解明され、その性状に適した用途に活用できるようになった。当初は代用鋼と呼ばれた鋼種も、適材適所に使われることで、代用鋼ではなくなったのである。3

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