第3節 北米で現地生産をスタート

第4項 現地に根づく工場運営

品質の確保

トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・USA(TMM、現・TMMK)とトヨタ・モーター・マニュファクチャリング・カナダ(TMMC)の運営にあたっては「品質の確保」に全力をあげた。両工場で生産するカムリとカローラは日本からも輸入されるため、日本製と同等の品質を実現しなければ現地工場としての存続が危ぶまれるからである。TMMでは、将来に備え、複数車種の車体を同一ラインで生産できる最新鋭のフレキシブル・ボデー・ライン(FBL)を導入したほか、海外工場では初となる樹脂成形工場も設置し、高い生産性と品質の確保に万全を期した。

さらに、TMM独自の工夫として、海外ならではの新しい工場レイアウトを採用した。すなわち、ボデー、塗装、組立の各最終工程が近いところに集まるようにしたのである。品質の状況を各担当者が現物で確認でき、不具合が生じた場合には、ただちに集合して不良工程を直せるようにした。この方式は一部を除き、その後の海外工場の基本コンセプトにもなった。また、日本と同様にテストコースと監査工場を設け、現地で品質が評価できる体制とした。

トヨタでは、海外で事業活動を行う際、「良き企業市民」として中長期的な視野から、雇用機会の創出や地域経済の発展に寄与することを基本理念に掲げてきた。その理念に沿った活動が定着したという面でも、北米への単独進出は大きな意味をもった。例えば、部品・材料の現地調達をオープンに進め、その一環として、1987(昭和62)年2月にTMMはケンタッキー州で初めて仕入先総会を開いた。

当時、米国では日本のメーカーは系列内で排他的取引をしているとの批判があった。こうした状況のなかで、TMMは全米から約60社のサプライヤーが参加した総会で、品質、コスト、納期遵守率、開発技術力などの条件が満たされれば、どこのサプライヤーからも調達するとの「オープンドア・ポリシー」を表明し理解を求めたのである。この方針は出席者に好感をもって受け容れられ、やがて米国のメーカーと遜色ない現地調達水準へと取引は発展していった。一方でトヨタグループ各社や日本の仕入先も単独あるいは現地企業との合弁方式により、積極的な現地進出に取り組んだ。

1988年5月にはTMMでカムリの1号車がラインオフした。全従業員からの公募により「今日の品質は明日の成功をもたらす」という工場スローガンを決定し、品質に万全を期しながら10月には本格生産に入った。さらに11月にはTMMCもカローラの1号車を送り出した。TMMCの工場スローガンは、「品質、我らが推進力」であり、この品質重視の方針は両社の従業員に浸透し、1989(平成元)年2月にはTMMCのカローラが「'89ベスト・ビークル・ビルト・イン・カナダ」に輝き、この賞がなくなるまで3年連続受賞した。

北米での現地生産拠点はニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)を含む3工場となり、その合計生産台数は1988年の7万台から1989年には25万台へと一気に拡大した。

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