第3節 国内市場の急伸長とレクサスの開発

第3項 九州・北海道・東北への工場進出

愛知県外への工場進出

国内の新車市場(軽自動車含む)が過去最大の777万台となった1990(平成2)年、トヨタの国内生産台数は421万台となり、1987(昭和62)年に比べて約50万台も増加した。各工場の生産能力は限界に達し1、工場の増設が差し迫った課題となった。

しかし、増設を困難にする要因の一つに、労働力の問題があった。バブル経済のもとで労働需給は逼迫し、愛知県の場合、1990年平均の有効求人倍率は全国で3番目に高い2.47となっていた。また、当時は年間総労働時間2,000時間を目指す「時短」への社会的要請もあった。

トヨタの工場は、それまで愛知県内に集中的に立地していたが、労働力の不足や時短の推進、さらに地域経済活性化への貢献といった観点から、1990年5月に北海道と宮城県にユニット工場、同年7月には福岡県に車両組立工場を建設する方針を発表した。その後の経済情勢の変化などから宮城県での立地は延期されたが、1991年2月には当社の全額出資によるトヨタ自動車九州(福岡県鞍手郡宮田町、現・宮若市)とトヨタ自動車北海道(苫小牧市)が設立された。両社は同年春から工場の建設に着工した。

別会社とした理由は、地域事情に即した機動的な意思決定と地域との一体感の醸成などを重視したからであった。トヨタ九州の生産拠点は年産20万台の能力を備え、1992年12月に同社の宮田工場で新型マークⅡの1号車がラインオフした。一方、トヨタ北海道は1992年10月にアルミホイール、1993年6月にオートマチックトランスミッション(AT)の生産を開始した。トヨタ九州では1993年4月に、トヨタ北海道では同年9月に竣工式が挙行された。

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