第5節 戦時下の研究と生産

第9項 航空機の開発と製作

ヘリコプターの試作

豊田喜一郎は、自動車事業への進出に努力を傾ける一方、航空機事業にも強い関心を抱いていた。1936(昭和11)年にはフランス製の超小型飛行機「プウ・デュ・シェル(Pou Du Ciel、空のシラミ)」を購入し、東京芝浦の研究所に持ち込んで、豊田英二や片岡文三郎飛行士に研究させた。離陸距離の短い「プウ」の延長線上として、回転翼のオートジャイロを研究し、さらに動力で回転する回転翼の揚力によって飛ぶ航空機、いわゆるヘリコプターの開発を目指したのである。1

1937年には航空機研究の場を刈谷に移した。ここでは、航空機用エンジンの研究に取り組むとともに、木型工場で木製プロペラを試作し、実際に飛行機にプロペラを装着して飛行性能などの調査を行った。

1938年11月に挙母工場が操業を開始すると、ただちに航空機研究室(航研室)の建設に着手した。同研究室は翌1939年春に挙母工場東門の近く(現在の事務2号館の北棟付近)に完成し、5月には嘱託の片岡が正式に入社して、特殊研究担当の航機研究主任心得として研究を進めた。2

試作された航空機部品は、挙母工場に近い衣が原飛行場(現在の元町工場完成車両ヤード付近)を利用し、海軍払い下げの13式練習機に装着して性能試験を実施した。また、東北帝大工学部の抜山四郎教授が設計した回転翼を用い、白井武明が航研室で実際にエンジンで回転させて浮力の測定実験を行った。さらに、1941年にはビーチクラフト複葉旅客機を入手して機体を調査し、回転翼で生じる風圧から乗員を保護する機体の設計の参考にした。

このような研究をもとに製作を進め、1943年には「2人乗りの小型ヘリコプタで、外見はシコルスキーS-55に似ていた」試作機が完成した。3

豊田佐吉の発明した環状単流原動機については、喜一郎はロータリーエンジンの研究という形で受け継いだ。1944年秋の「ロータリーエンヂンノ製作ト実験ニ就テ」という文書のなかで、喜一郎は、「当社ニ於テモ先代豊田佐吉ハ丸エンヂント云フ名前ニテ今ヨリ35年前今ノ栄生町ノ工場デ蒸汽エンヂンヲ作」ったが、「ロータリーエンヂンデハ内燃機関ノ形ニスルコトガ非常ニ六敷シク」と述べている。4このロータリーエンジンを設計した当時、トヨタ自工は航空機用ガスタービン・エンジンの開発にも参画し、燃焼室の製作を担当した。

佐吉や喜一郎による環状単流原動機(ロータリーエンジン)の研究は、実用化には至らなかったものの、その研究の精神は、トヨタ自工をはじめ、トヨタグループの各社に引き継がれていった。

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