第5節 戦時下の研究と生産

第2項 ディーゼル・エンジンの研究

1938(昭和13)年3月作成の「挙母工場試験室機械器具配置図」に記載されたエンジン試験室の配置図には、「クルップ・ディーゼル・エンジン」「ユンカース・ディーゼル・エンジン」の試験台が記されていた。したがって、それらディーゼル・エンジンの研究は、少なくとも挙母工場の完成後には始まっていたと思われる。

ドイツのユンカース社製ディーゼル・エンジンは、一つのシリンダー内に二つのピストンを備え、ピストンが互いに対向して動く、非常に特異な構造の航空機用エンジンである。また、クルップ社製ディーゼル・エンジンは、ユンカース社製を自動車用に改造したものであった。

豊田喜一郎は、広報誌『流線型』1939年9月号に掲載された記事のなかで、ディーゼル・エンジンの研究について、「当社としても多年苦心して研究中にあるのであるが、最近その成案を見るに至り、目下試作研究中のものである」と語っている。1さらに、1939年8月発行の雑誌『工業評論』でも、「トヨタ自動車工業では夙(つと)にディゼル自動車の将来性に着目してドイツのユンカース会社のディゼル自動車をモデルとして極秘裏に独自のディゼル自動車の試作研究を進めていたが右試作車は此の程見事完成を見るに至ったので目下厳重なる各種の性能テストを行っており(1939年)十月頃には正式発表を見る予定で」あると報じられていた。2

しかし、このディーゼル自動車は発売されなかった。3それは、「過当競争」を理由に、販売自粛を業界や官庁から要請され、ディーゼル自動車を発売する機会がなかったからであった。

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