第4節 世界各地で充実する海外事業

第2項 オーストラリア

オーストラリアでは1982(昭和57)年の工販合併と同時に、工販両社の駐在員事務所を統合し、生産から販売、金融サービスに至る現地子会社を統括する体制を整えた。生産面では1980年にオーストラリア政府の自動車政策に沿ってコロナ、カローラの国産化率85%を達成したが採算が取れず、トヨタ生産方式やQCサークル活動を導入するなど改善に取り組んだ。その結果、オーストラリアン・モーター・インダストリーズ(AMI、現・TMCA)の1台当たり総工数は、1980年当時の45.2時間から、1985年には27.9時間へと大幅に短縮された。

一方、オーストラリアの自動車産業の国際競争力は政府の保護策もあって弱体化しており、1984年には政府が自動車産業の合理化を企図し、現地生産していた日米メーカー系の5社を3グループ以下とするなどの方針を打ち出した。この政府方針を受けて、1988年5月にトヨタは米国ゼネラル・モーターズ(GM)社と合弁でユナイテッド・オーストラリアン・オートモーティブ・インダストリーズ(UAAI)を設立した。両社の生産車種を相手先ブランドで相互に供給することにより、モデル当たり生産量の拡大をねらった施策であった。

その後、オーストラリア政府によるUAAIなど国内メーカーへの保護政策は徐々に取り払われ、合弁会社の経営環境も変化していった。こうしたなかで、トヨタとGM社は1996(平成8)年3月にオーストラリアでの合弁を解消した。

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