第7節 設備近代化

第2項 朝鮮戦争による特需の発生

1950(昭和25)年6月25日、朝鮮半島で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の軍隊が北緯38度線を越え、大韓民国(韓国)に侵攻した。朝鮮戦争の勃発である。

韓国軍の装備を早急に補うため、戦場に最も近い日本の工業力が利用され、同年7月10日には早くも米国第8軍調達部からトラックの引き合いがあった。トヨタでは、BM型トラック1,000台を受注し、7月31日にトヨタ自工・自販共同で契約を締結した。納入は、翌8月に200台、9月と10月に各400台であった。その後もトヨタは、8月29日に2,329台、翌1951年3月1日に1,350台と合計4,679台のBM型トラックを受注した。金額にすると36億600万円である。

このような特需の発生に対して、トヨタ自工では生産計画を月産650台から1,000台へと引き上げた。要員については、現有人員による2時間残業で対応し、また計画中であったBM型トラックのBX型への切り替えは、特需車両の完納後まで繰り延べることとした。

トヨタ自工の業績は、朝鮮特需により急速な回復をみせた。その様子を「第22回事業報告書」(1950年4~9月)は、次のように伝えている。1

過去に於て常に経営上の重い桎梏となって居た自動車の販売統制価格が四月中旬撤廃されたので、朝鮮動乱勃発後素材、部品、タイヤ等累次の価格騰貴にもかゝわらず自動車販売価格を改訂することによって随時採算を是正することが出来、需要並に生産の上昇と相俟って、争議解決後、業績は逐月向上するに到った。

トヨタ自工は、ドッジ・ラインの影響で深刻な経営危機に陥り、人員整理にまで手をつけなければならなかったが、朝鮮特需を契機に業績は好転し、新たな一歩を踏み出すことができたのである。

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