第2節 モータリゼーションと貿易・資本の自由化

第1項 高度成長とモータリゼーション

日本経済は、1955(昭和30)年から1970年にかけて、世界に類例を見ない高度成長を遂げた。この15年間、他の先進諸国の年平均名目経済成長率は6~10%であったが、日本のそれは15%に達した。そのため、日本はGNP(国民総生産)の規模で先進各国を次々と追い抜き、1969年以降、米国に次いで資本主義諸国中、第2位の地位を占める経済大国となった。また実質GNPで見ても、日本経済はこの15年間で年率10%の成長を遂げ、経済規模は4.4倍に達した。1

こうした経済成長に伴う確実な所得の上昇は、個人消費の急速な拡大をもたらした。3種の神器(テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機)の普及が一段落し、「3C」と呼ばれる大型耐久消費財が新たに庶民の願望の的となった。カー、クーラー、カラーテレビである。とりわけ自動車は、1960年代後半初頭の各社の1,000ccクラス大衆乗用車の充実により、マイカーブームを招来した。

日本経済の拡大とともに、自動車の販売台数は急速に増加した。なかでも、乗用車需要は急成長し、1965年の59万台が1970年には237万台と、年平均32%の成長を遂げる。国内の自動車保有台数は、1965年の630万台が1967年には1,000万台を突破し、全国いたるところで自動車が活躍するようになった。

また、生産台数も1965年の188万台が1967年には315万台となり、西ドイツを抜いて世界第2位の自動車生産国に躍進し、続く1968年には400万台を突破する生産台数を記録した。

モータリゼーションの進展を背景に、道路の整備も行われた。1954年からの道路整備5カ年計画が、1960年代後半には第4次、第5次計画と次々実行に移され、道路の整備は次第に進んでいった。また、1965年には名神高速道路が開通し、ハイウェー時代の到来を告げた。続いて、1969年には東名高速道路も開通した。

1960年代後半には、勤労世帯、自営業にも自動車が普及し、小型大衆乗用車と小型トラックが大きなウェートを占めるようになった。車は経済的価値を象徴するものから、誰でも気軽に乗り回すことのできる快適な道具へと変化していった。

また、戦後のベビーブーム期に生まれた世代が、車の大きな需要層として登場してきた。彼らにとって車は生活様式に結びついた個性的かつファッショナブルな道具であった。従来のファミリーカーに加えて、スタイル志向の強いハードトップ、クーペも好まれるようになった。性能面でも高速安定性がよく、発進加速の優れたスポーティな車の需要が増大した。

このページの先頭へ