第9節 量産量販に向けての準備

第3項 中南米諸国への進出

中南米諸国向け輸出の始まり

中南米諸国では、四輪駆動車トヨタBJ型ランドクルーザーの商品性が高い評価を得た。その輸出としては、1955(昭和30)年11月にブラジル向けに32台をCKD輸出したのが最初である。

続いて、1956年秋には石油ブームに沸くベネズエラへランドクルーザー52台を輸出した。油井地帯や牧場での連絡用として四輪駆動車の真価を発揮し、購入希望者が続出したといわれる。その結果、1957年のベネズエラ向けランドクルーザーの輸出は795台にのぼり、さらに南米各地へも急速に普及していった。

ランドクルーザーが先導役を果たし、市場の開拓が進む半面、中南米諸国は、政治・経済情勢が必ずしも安定しないところがあり、輸出に支障をきたしたケースもあった。

コロンビアの場合は、1958年6月に同国の有力な自動車組立会社であるパナール社と提携し、ランドクルーザーを組立生産・販売することになった。トヨタ自販の神谷社長は、提携を支援する同国大統領と全面的な経済協力について現地で約束し、帰国の途についた。すると、その1週間後に政変が起こったのである。大統領は国外へ逃亡し、提携事業自体が消滅した。

メキシコでは、1960年8月にディストリビューターのプランタ・レオ・デ・メヒコ社と提携し、ランドクルーザー(FJ25L型)、ディーゼル・トラック(DA95LH-3型)、乗用車(クラウン、コロナ)のCKD生産を行うことになった。現地資本による事業であり、トヨタ自販は金融面での支援を担った。ところが、プランタ・レオ社の経営者がメキシコ政府の政争に巻き込まれ、同社は政府に接収されてしまった。1964年3月に撤退するまでの間、同国でのCKD生産は合計3,580台を数えた。

トヨタの撤退後まもなく、メキシコ政府は自動車国産化計画を打ち出した。しかし、現地に生産工場を持たない自動車メーカーは、同国の国産化に参加できなかったため、長期間にわたりメキシコでの生産は途絶えた。1

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