第4節 石油危機への対応

第2項 省資源・省エネルギー活動など

石油危機を契機として資源・エネルギーの有限性が再認識されるなかで、トヨタは省資源・省エネルギー活動を積極的に進めた。工場では、熱処理に欠くことのできないガスの供給量が突然30%削減されるなどの事態が生じ、その日から否応なしに徹底した省資源・省エネルギー対策を実施に移したのである。

省資源対策では、1973(昭和48)年11月に廃棄物低減連絡会を開き、材料を有効に使うため廃棄物を半分にする低減運動を推進した。省エネルギー対策として、取り急ぎ、窓際や通路などの照明を間引き、圧縮空気の漏れ対策、暖房温度の引き下げなどを実施した。1974年1月に、紙、油、電力の節減に関する創意くふう提案の特別募集を行い、7,000件を超す多数の提案が寄せられた。

1974年1月、会社方針にエネルギー・資源問題対策を掲げて、1省資源・省エネルギー活動を全社的に推進した。同年5月に省エネルギー対策委員会を設置し、全社的に省エネルギーを推進する体制を整えた。

また、同年度の業務点検のテーマに「資源・エネルギー対策」を取り上げ、長期的な観点から省資源活動の展開を図った。技術部門は部品共通化や部品点数の削減を進めるとともに、車両重量企画活動を通じて車両軽量化に関する技術開発を推進した。生産技術部門は燃焼炉の熱効率向上など、抜本的な省エネルギー生産技術の確立に努めた。同年9月に行われた業務点検では、製造部門をはじめ技術部門、生産技術部門、購買部門における活動の成果を確認し、省資源活動をいっそう強力に展開することになった。

原価管理活動も、諸資材が高騰し販売台数が激減する厳しい時期においては、新しい考え方と施策が必要になる。1974年10月、最量販車のカローラを対象にプロジェクトチームによる原価改善活動が始まった。「カローラ原価改善委員会」は設計、製造、生産技術、購買、業務、経理の各部の委員で横断的に構成し、約半年間で1台当たり1万円の原価改善を目標にスタートした。

原価を下げるという仕事は、1本何十銭というボルトをどうするかというような細かい改善の積み重ねである。車は約3万点の部品でできており、カローラ原価改善委員会は、その一つひとつの部品と全生産工程を洗い直し、時には実験を繰り返した。2こうした節約の積み重ねは、目標を上回る原価改善となって実を結んだ。原価改善委員会は、原価改善活動の新しい進め方として、意識改革の必要性を啓発したのであった。

続いてコロナ、クラウン、ハイラックス、ライトエースと、原価改善委員会を次々と発足させ、将来のモデルチェンジの際に実施しうるものを含め、徹底した合理化を追求していった。

さらに、1974年9月には原価企画委員会を設け、大局的な見地から原価企画を検討した。続いて翌年2月には技術管理部に原価企画課を設置し、また生産技術企画室、経理部、購買管理部の各部の原価企画体制を充実・強化し、原価企画をねらいに沿って進めることができるようになった。

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