第1節 元町工場の建設とTQCの導入

第4項 新型コロナRT40型の生産、販売

1964(昭和39)年9月、3代目コロナ(RT40型)が誕生した。この車はそれまでの教訓を生かし、海外市場でも通用する高性能、高品質の車であった。

エンジンは耐久性と使いやすさに定評があるR型エンジンを改良して2R型(1,490cc、70馬力)とし、トルクカーブもフラットな使いやすいものにした。さらに足まわりを新たに設計して振動・騒音を低下させた。乗り心地、居住性、装備は中型車並みをねらい、旧型よりも全長、全幅で各60mm、室内幅で40mm大きくした。

それまでの乗用車設計の伝統的条件であったタクシー向けの車両寸法にとらわれず、国際商品として通用することを念頭におき企画・設計したものであり、アローライン1に代表される躍動感あふれるスタイルの乗用車であった。2

1964年8月、新型コロナの量産第1号車が元町工場でラインオフし、同年9月に全国一斉に発売した。この発表を待つかのように全国各地の発表会、試乗会には20数万人が押し寄せ、大変な人気となった。

この年、日本で初めての本格的な高速道路である名神高速道路が開通し、ハイウェー時代に突入した。そこで新型コロナのキャンペーンとして、開通したばかりの名神高速道路における連続10万km高速走行を企画した。3台のコロナがスタートを切ったのは、新型コロナ発表直後の1964年9月14日であった。テレビ、ラジオを動員して走行状態を放送し話題渦巻くなか、58日間で10万kmを完全走破した。こうした快挙などにより、高速時代をひらく新型コロナという高性能イメージは急速に浸透していった。

発売以来、順調に人気を持続してきた新型コロナは、発売年(1964年)の12月に月販8,400台と、ブルーバード(日産)と肩を並べた。そして、1965年1月には、初代コロナ(ST10型)の発売以来、月販台数で初めてブルーバードを抜いた。新型コロナがこのように短期間に販売台数で第1位の座についたのは、モデルチェンジの成果であり、それはまた全社的なTQC活動の結実でもあった。開発から生産までの大日程は、全社的なプロジェクトチームがその進行調整を受け持ち、工場ごとに工程計画協議検討会を開き、確実に品質を造りこむ生産工程をつくる検討を行った。

そして、新型コロナは1965年4月から1967年12月まで、33カ月連続ベストセラー・カーの地位にあり、その高性能、高品質ぶりを実証したのである。

新型コロナの発売後まもなく、豊田章一郎常務取締役(技術部門担当)は「新型コロナの誕生」として以下のとおり述べている。

4年あまり前、それまでは関東自動車で組み立てていたいわゆる“だるま”と称するコロナから、いま街を走っているスマートな型のニューコロナが元町工場で作り出された。当時は当社としては初めての本格的なモデルチェンジであり、その時の立上りの苦労を今でも憶えている人は多いと思う。その後パブリカの発売、クラウンのモデルチェンジと経験を重ね、今回従来にない量産体制のもとに、颯爽と生産ラインを新型コロナがラインオフしようとしている姿を見ると、真に喜ばしい限りである。特に品質管理でいう再発防止ということがモデルチェンジのたびごとに実際に行われて、立上りが回を重ねるごとにスムーズになってきているのは喜ばしいことである。(中略)

新型コロナはご覧のとおりの斬新なスマートな外観を持っている。このスタイルは当社のデザイン課が生み出した他のまねをしない独特のもので、必ずや新しい流行を作り出すと思う。また性能面では重量は国際レベルの車と同じになり、加速性能・高速性能・実用燃費では競合他車をはるかに上まわる性能に達した。耐久性の面でも従来のコロナにまさるともおとらない。特に営業車用には専用の車種も用意して過剰品質にならないよう設計をしている。

日本国内の乗用車の売れ行きは毎年上昇している。特に自家用車は今後ますます増加するだろう。一方、貿易の自由化も来年始めに実施され国内の乗用車の競争はますます激しくなると思う。ちょうどその時にこの新型コロナが誕生したのはまことに時期を得ている。特に今度の新型コロナはクラウンから分かれて独自の設計をし、製造設備を新設したことは、会社がコロナの将来性をみて本腰を入れたのである。このコロナの売れ行きいかんが当社の将来の運命ひいては国産自動車工業の発展のかぎを握っていると思われる。われわれは設計・製造・販売打って一丸となってコロナの発展のために全力を傾けようではないか。

(豊田章一郎「新型コロナの誕生」〈『技術の友』第16巻第2号《トヨタ技術会、1964年11月刊行》〉)

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