第3節 排出ガス規制への対応

第6項 1978年度規制対応とその波及効果

環境庁は、この間もメーカー各社の開発状況について聴聞を続け、1976(昭和51)年12月に、1km走行当たりのNOx(窒素酸化物)排出量を0.25gに規制する1978年度排出ガス規制を告示した。

このころには、トヨタも目標をNOx 0.25g達成の一点に絞った研究開発の成果が現れ、酸化触媒をさらに改良したほか、新たに三元触媒方式を実用化するなど、技術的な可能性を見出していた。

三元触媒は、排出ガス中のCO、HC(炭化水素)のほか、NOxも触媒の作用で同時に浄化するものである。3つの成分を同時に浄化するには、吸気混合比を理論空燃比に保つ必要があり、排出ガスの酸素濃度を検出するO2(酸素)センサーが三元触媒方式実用化の要となっていた。センサーの電極は高温の排出ガスにさらされるため、開発初期には電極の剥離や素子割れを起こすなど、耐久性が著しく乏しかった。

急遽、O2センサーの実用化にあたることになった第1技術部は、豊田中央研究所に素子の基礎的な物性調査と劣化解析を依頼するとともに、日本電装(現・デンソー)と共同で素子そのものの改良や熱衝撃に耐える構造の設計・開発に取り組んだ。また、エンジン実機法、燃焼ガス法など各種の特性評価方法も開発した。この間、1978年度規制適合車の発売を早める方針が出されたが、生産技術者と一体になって量産時の信頼性を確保し、ついに優れた性能と耐久性をもつO2センサーを完成させた。

企業の存亡をかけた開発努力を続け、実験を重ねて、1977年6月、三元触媒方式による1978年度規制適合車としてクラウン2000、マークⅡ2000、および新型乗用車チェイサーを発売した。

続いて、1978年度排出ガス規制対策の第2弾として、「トヨタTGP燃焼方式」による12T-U型(1,588cc、88馬力)エンジンをコロナ1600、カローラ1600、スプリンター1600、新型カリーナ、セリカの合計5車種73車型に搭載して同年8月から発売した。

さらに9月には、酸化触媒方式による1978年度規制対策を施したカローラとスプリンターを発表した。搭載エンジンは、1976年度規制適合車に比べて、燃費、ドライバビリティを大幅に向上させた4K-U型(1,290cc、72馬力)であった。

こうしてトヨタは、三元触媒方式、TGP燃焼方式、酸化触媒方式の3方式を実用化し、各車に最適の1978年度規制対策を次々に施し、排出ガスレベル、燃費、性能、価格のすべてにわたって満足のいく「トータルバランスの追求」を行った。

エンジンは、すべての構成部品にわたってきめ細かな見直しと改良を行い、吸排気系の改良、燃焼室形状の変更、動弁系の軽量化、摩擦抵抗の低減などを実施して著しく性能を高めた。各種排出ガス制御装置、点火装置およびEFI(電子制御燃料噴射装置)などの電子機器やセンサーなどの信頼性の向上にも努力し、設計から製造までの各工程にわたってノウハウを習得した。

グループの総力を結集して取り組んだ排出ガス規制対策は、多くの努力を積み重ねて成功した。その過程が厳しいものであっただけに、さまざまな技術的蓄積ができ、その後の自動車の諸機能を大幅に向上させることにつながったのである。

豊田英二社長はのちに、当時の排出ガス規制の進め方と、規制対応のため真摯に努力したことについて、以下のように述べている。

排出ガス規制を達成しても、肝心の性能が落ちては何もならない。極端な話、走らなければ排出ガスは出ないから一番きれいだ。

しかし走らなければもはや自動車ではない。自動車という以上、少なくとも従来の性能を維持しながら、しかも規制数値を達成しなければ意味がない。トヨタは最低の目標をそこに置いた。最終目標のNOx 0.25グラムは期日通りには達成できそうもないから、延期してほしいと要請したわけだ。(中略)

結果は(1976年度規制を2年間)延長してもらったお陰で全車種とも規制を達成できたが、あの時の規制は今でも乱暴なやり方だったと思っている。たとえていえば、水泳を教えるのにいきなり海に放り込んで、ばしゃばしゃやらせながら泳ぎを覚えさせられたようなものだ。まかり間違えば死んでしまうかもしれない。ただ、あの規制を機に日本の技術は、欧州に比べてとりわけ大きくレベルアップしたように思う。

(豊田英二著『決断―私の履歴書』208、213ページ)

また、排出ガス浄化技術の研究開発を推進した松本清取締役(当時)はのちに、自力開発とチームワークの大切さについて、以下のように述べている。

排出ガス対策を振り返って、EFIのコントロール、センサー、それから触媒などというハード全部を自分でやってきたことがトヨタにとって非常によかったと思う。センサーが良くなればコントロールをそれ程厳密にやらなくてもいいとか、触媒が長持ちしてくれれば貴金属の量を少し減らすとか、どうすれば触媒が劣化しにくいとかいうようなことを木目細かくできる。

トヨタは、デンソー、豊田中央研究所、キャタラーと協力して攻めていけるという有利な点があるので、総合して他社よりは安く車を作れることになる。特に電子制御に関する部品についてはどこのカーメーカーも最良の製品を欲しいけど、部品によってはなかなかそうはならない。だから、そういうところをどんどん強化しなくてはいけないんじゃないかな。

(自動車技術史委員会『1997年度 自動車技術の歴史に関する調査研究報告書』〈自動車技術会、1998年刊行〉中の「インタビュー調査 松本清氏」)

特殊部品製造企画室長など、製造・生産技術部門を担当した楠兼敬(当時)取締役は、のちに以下のように回想している。

排気対策を終始まじめに取り組み、成功させたのは日本のメーカーであったと思う。これは、我々の技術力、技術水準に対して大きな自信となった。

(楠兼敬著『努力と成長』〈トヨタ自動車、2006年刊行〉42ページ)

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