第1節 豊田佐吉の発明と考え

第1項 豊田佐吉

トヨタ自動車および自動車を中心に形成されたトヨタグループの創業者は、豊田喜一郎である。喜一郎は、父親の豊田佐吉から引き継いだ精神と事業を基盤に自動車事業へ進出し、今日のトヨタグループの礎を築いた。したがって、トヨタ自動車創業の精神を理解するには創業者喜一郎とその父佐吉の思想へとさかのぼるとともに、自動車以前の事業の軌跡をたどる必要がある。

豊田佐吉は、1867(慶応3)年2月14日1に遠江国敷知郡山口村、現在の静岡県湖西市山口に生まれた。この年は、近代日本が誕生した年でもあった。同年10月14日には徳川幕府の第15代将軍徳川慶喜が大政奉還の文書を朝廷に提出し、12月9日に朝廷は王政復古を宣言した。こうして明治新政府が樹立され、1868(慶応4=明治元)年9月8日には年号が明治に改められた。

佐吉は、1870年発刊の『西国立志編』に大いに啓発された。同書は、静岡学問所の教授である中村正直がサミュエル・スマイルスの『SELF HELP』を翻訳したもので、100万部以上売れた明治期のベストセラーである。同書には、紡績機械や動力織機などの繊維機械を考案した発明家についての記述があり、佐吉の向学心を高めたという。さらに、1885年4月には「専売特許条例」が公布され、発明の奨励とその保護が打ち出された。佐吉は、これに強い関心を持ち、織機の発明を志すきっかけになったと伝えられている。2

そして、佐吉は父について家業の大工仕事を手伝いながら、バッタン付き高機3の改良を思い立ち、その考案に専念するようになった。

1890年、佐吉は改良した手織り機の特許を出願するため、横浜に住む同郷の知人のもとに身を寄せて、東京の特許局へ出願手続きに通った。4この「織機」(木製人力織機)の特許出願は、同年11月に受理され、翌1891年5月14日に特許第1195号「織機」の特許証が授与された。

同証書に記載された佐吉の住所は、神奈川県横浜市海岸通5丁目20番地 佐原谷蔵方寄留であった。

このページの先頭へ