第4節 工場の新増設

第4項 トヨタ生産方式の構築と展開

トヨタ生産方式には2本の柱がある。一つはジャスト・イン・タイムであり、いま一つは自働化であり、これらは第1部で既に述べた。

量産体制確立のため、生産設備の新増設が相次いだばかりでなく、生産管理面でも、より合理的な形がとられるようになった。

ジャスト・イン・タイムによる効率的な生産をより強力に推進するため、従来のスーパーマーケット方式に「かんばん」を導入するなど、1次第にトヨタ生産方式が確立し定着していった。

かんばんはジャスト・イン・タイムを実現し、後工程が必要とする部品の名称や数量等を指示する道具である。1963(昭和38)年に「かんばん方式」とよばれる新しい管理方式を全工場で採用した。「かんばん」の指示に従って部品をつくれば、常に必要数量だけが各工場間で受け渡されることになり、各工程における在庫は解消する。「かんばん」が普及するとともに、作業標準や運搬管理などの問題が一つひとつ解決され、生産ラインにスムーズな流れがつくり出されていった。

1965年にかけて、協力会社からの部品引き取りにも「かんばん」を採用した。協力会社には、トヨタと同じやり方をすれば改善が進むことを説明し、希望する会社から順次、トヨタ生産方式を導入していった。双方の協力で改善の成果があがり、トヨタ生産方式は共存共栄のための有効な手段として定着した。

さらに、各工程で過剰な人員や設備を抱え込むことのないよう、生産品目と生産量の平均化、すなわち生産の平準化をあわせて推進した。組立ラインから資材の引き取りに至るまで生産の平準化が達成された結果、いっそうジャスト・イン・タイムが実現するようになった。

機械に自動停止装置を取り付け、異常発生と同時に機械が自動的に停止するようにすれば、不良品と知らずにつくるといったムダが生じない。これが機械の「自働化」である。さらに、一歩進めたものに「目で見る管理」がある。「アンドン」と呼ばれる表示装置を各ラインの監督者からよく見える位置に置き、異常発生と同時に自動あるいは手動によりアンドンを点燈させ、監督者はすぐに異常現場に飛んでいき処置をとる。上郷工場では1966年にアンドンを設置し、「ニンベンのついた自働ライン」を完成させた。

1966年、オンライン・コントロール・システムが高岡工場に導入され、ライン側に備えられた端末機から生産指示情報を得て、組付作業を行うようになった。このシステムは1969年に元町工場、1970年に新設の堤工場に導入され、急激な生産台数の増加、仕様の増大に対応していった。しかし、生産指示情報が各端末機から先出しされた結果、先行作業が行われるようになり、その結果、組付ミスが多発するなどの欠点が目立つようになった。

このため、端末機による生産指示をやめて、ボデーに貼付した「はり紙」による生産指示方式に切り替えた。生産指示情報は作業対象そのものから得ることになったため、先行作業による組付ミスもなくなり、変化への対応も柔軟に行えるようになった。

生産量の変動にきめ細かく対処していくには、可動率(設備を動かしたい時にいつでも動かせる割合)を高めること、つまり設備の信頼性を高めることが重要になる。このため、重要工程についての可動率向上対策が強力に展開された。例えば、上郷工場のT型系エンジンの機械加工、組付ラインでは、工場側と第1生産技術部が対策チームを編成し、異常の早期検出、日常点検と定期点検の強化を図るとともに、工程・設備上の改善などあらゆる角度からの対策を推し進め、可動率の大幅な向上を実現した。

量産化に伴う自動化などが進んだ結果、生産量が大きく減少しても、一定の人数でなければ設備を動かせないという問題が生じてきた。ラインの「定員化」である。生産台数の低下を経験したトヨタでは、こうした定員制を打破し、生産量が減少しても、それに見合うだけの少ない人数で生産が可能なラインをつくり上げ、適切な人員配置によって1人当たりの付加価値を高めていく「少人化」を打ち出した。終戦直後から、自動車産業の生き残りをかけて生産の合理化に取り組み、ジャスト・イン・タイムと自働化を軸にトヨタ生産方式を確立してきた大野耐一元副社長は、次のように語っている。

昭和35、36年(1960、1961年)ごろから「省力化」ということがいわれていたが、私は前から人そのものを省ける「省人化」でなければと考えていた。

石油危機のころ、たまたまあるところでこの省人化について講演したが、その後、その講演の要旨をまとめたものを見ると「省人化」を「少人化」と書き違えてあった。私はそのとき、これはよいことをいってくれた、これからは本当に「少人化」でなければならないということに思い至った。

たとえば生産量の多少にかかわらず、定員がいなければ機械を動かせず、生産ができないというのでは、これからの低成長の時代には合わない。生産量が減るのだから、今まで7人で生産していたものを6人、あるいは5人で生産できるようにしなければいけない。いい換えれば、生産量が減った時、少ない人数でも動かせて生産ができるような設備・機械を、創意と工夫でつくり出していくことが必要になったのである。
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