第3節 新型車の開発・販売―フルライン体制の推進

第3項 スプリンターとマークⅡなど

カローラをはじめとする大衆車が普及するにつれ、このクラスの車にスポーティムードを求めるユーザーが多くなった。このため、トヨタは1968(昭和43)年4月、カローラをベースに豪華でスポーティな感覚を盛り込んだカローラスプリンター(KE15型)を発表した。

このスプリンターは、全高を低くし空気抵抗を減少させた流麗なボデースタイルを採用し、高速走行性を向上させた。また室内スペースは5人乗り乗用車として十分な余裕をとるとともに、装備面でもいっそうの充実を図った。同時にカローラとの大幅な部品共用により、その経済性も確保した。スプリンターの追加によりカローラ・シリーズは、合計30種の国内向けバリエーションを有するワイドセレクションとなった。

1970年5月、カローラとスプリンターのモデルチェンジを実施した。新型車(KE20型、KE25型)は居住性、安全性を充実し、「だれにでも乗れる、だれにでも親しまれるハイ・コンパクトカー」を目指した。多様化する需要に対応してカローラにクーペを追加し、さらに翌年(1971年)8月には、スプリンターに4ドアセダンを追加して、スプリンターをカローラ・シリーズから独立させた。大衆車市場の高級化、個性化に対応するものであった。

1968年9月、ベストセラーカーであるコロナの実績を基礎に、コロナより一回り大きい上級車種として、国際商品性に富んだコロナマークⅡ(RT60型、RT70型)を発表した。マークⅡは需要層の拡大を見越して、ボデー形状、エンジン、トランスミッションの組み合わせにより、国内向け20種、海外向け28種のバリエーションとした。これほどの多車種を大規模な量産体制で同時に立ち上げるのは、トヨタでは初めてのケースであった。

エンジンは、コロナに搭載されていた2R型(1,500cc)と7R型(1,600cc)のほかに、8R型(1,900cc)を搭載した。ボデーはコロナのアローラインのイメージを残した。また、マークⅡの開発を進めていた当時は、世界的に安全への関心が高まっていた時期でもあり、とりわけその安全性に配慮しエネルギー吸収ステアリング、2系統式ブレーキ装置など、多数の新機構を取り入れた。

この間、次のモデルチェンジを実施している。1967年9月、クラウンのモデルチェンジを行った。新型クラウン(MS50型、RS50型系)は居住性の向上を目指し、ペリメーターフレームの採用によって、ルームスペースを広くした。ボデースタイルも、流れるようなサイドビューが幅広い需要層に受け入れられる外観を形づくった。このモデルチェンジに先立って、クラウンに従来の3R型エンジンに加えて、6気筒2,000ccのM型エンジンをデラックスおよび新開発のスポーツ仕様車に搭載するなど、ワイドセレクションを進めていた。

1967年11月、トヨタセンチュリーが発売された。1963年に発売されたクラウンエイトは、そのスタイルがクラウンの延長であり、新しい大型車とは言い難かった。そこで、高級外国車に匹敵する新しい国産最高級乗用車としてセンチュリーを開発した。エンジンは新しく開発した3V型(2,980cc、8気筒アルミブロック、アルミヘッド)を搭載した。さらに、ボデースタイルは重厚さを感じさせるデザインとし、ラジエーターグリルには宇治平等院の鳳凰(ほうおう)をデザインした金色のシンボルマークを付け、日本を代表するにふさわしい機能と風格をもった車とした。

1969年3月、パブリカのモデルチェンジを1966年4月に引き続き実施した。新型パブリカ(KP30型、UP30型)は従来の経済性を維持しつつ安全性の充実に努め、空冷800ccエンジンに加えて、新たに水冷1,000ccの2K型エンジンを搭載するなど、高速走行性の向上を図った。

1970年2月には、コロナのフルモデルチェンジを実施した。新型コロナ(RT80型)はRT40型の優れた信頼性、快適性をベースに、新時代のファミリーカーとしての安全性、高速長距離走行性を実現させた。同年8月にはユーザーの多様化に応ずるため、1968年で打ち切っていたハードトップを復活し、マークⅡと同じようにワイドセレクションとなった。

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