第3節 新型車の開発・販売―フルライン体制の推進

第5項 新型トラックの開発

1960年代に入ると、ユーザーの要求も次第に多様化し、さらに高度化した。自動車の総合メーカーとして、トヨタはトラックについても大型から小型まで数多くの車両を開発し、世に送り出した。

1959(昭和34)年3月、トヨエースのモデルチェンジを実施した。新型トヨエース(SK20型)は従来型の面影を残しながらも、斬新なスタイルを採用した。

シャシー関係ではフロント・スプリングの枚数を減らし、簡易型のショック・アブソーバーを採用するなど、乗り心地の向上に努めた。また、かねてから開発を進めていたP型エンジンを同年10月から搭載し、トヨエースはPK20型となった。

1959年6月、トヨペット・トラックは、新しい愛称としてボンネット・タイプをスタウト、キャブオーバー・タイプをダイナに決定した。1960年7月にスタウトをモデルチェンジし(RK45型)、1963年3月にダイナをモデルチェンジし(RK170型)、両車とも足まわりの強化と居住性の向上を図った。また、1963年9月にはスタウトのホイール・ベースを縮めたライトスタウト(RK40型)も発売した。

1964年9月、トヨタは大型トラックのモデルチェンジを実施した。新型トラック(FA100型、DA100型)は、外観、内装ともに高速時代にふさわしいダイナミックなものとなり、性能も一段と向上した。

流通形態の多様化、市街地における交通事情の悪化もあって、その後、トラックの需要は小型で機動性に優れたものに移っていった。また、自動車市場における乗用車のウェートが高まるにつれ、輸送を主体としたトラックにも乗用車ムードを持った商用車が望まれるようになった。

1967年10月、キャブオーバー・タイプの商用車ハイエースを発売した。ハイエース(PH10型)は乗用車と同等の居住性や操縦性を持ち、デリバリーバンを基本車型に、1トン積みトラック、9人乗りワゴン、コミュータと名付けた12人、15人乗りバスなど、使用目的に合わせた豊富なバリエーションを提供した。

同年11月に500㎏積み小型トラックのミニエース(UP100型、キャブオーバー・タイプ)を、1970年11月にライトエース(KM10型、キャブオーバー・タイプ)を新たに発売した。

ライトエースは、ハイエースとミニエースの中間車種として市場の要求に合致するとともに、安定した品質によって販売台数は順調に増加し、トヨタ車体とダイハツ工業に委託した車両組付も順調に進んだ。

1968年3月、トヨタは新たにハイラックス(RN10型)を発売した。ハイラックスは1トン積みボンネット・タイプのトラックを強化するため、ライトスタウトとブリスカを統合し、車両組立を日野自動車工業に委託した。2R型エンジン(1,500cc)を搭載し、斬新なスタイル、小型トラックとして初のカーブド・ガラスの採用、居住性を考慮した広い室内スペースなど、乗用車イメージを強く打ち出したトラックとなった。輸出にも力を入れ、1969年には米国向け3R型エンジン(1,900cc)を搭載し、その優れた性能と品質、手ごろなサイズと価格で輸出台数は順調に増加していった。

1969年2月、2トン積みキャブオーバー・トラックのダイナのモデルチェンジを実施した。新型ダイナ(RU10型、JU10型)はデザインを一新し、高速走行時代に備えてブレーキ性能を強化し、フロントタイヤを前方に移動させて乗降性と居住性を改良した。

また、ダイナ・シリーズの一環として好評を博してきたトヨタ・ライトバスを改良し、トヨタ・コースター(RU18型、JU18型)として発売した。さらに同年6月、H型ディーゼルエンジンを搭載した3トン積みダイナを発売した。

1969年9月には、新4トン積みのマッシーダイナ(QC10型)を発売した。マッシーダイナの設計は、エンジン、クラッチ、トランスミッションを日野自動車工業、キャビン、リヤデッキをトヨタ車体、フレームをトヨタが分担した。

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