第4節 自動車部組立工場と挙母工場の建設

第9項 メートル法の導入

挙母工場では、操業開始に合わせて、寸法の単位をヤード・ポンド法(インチ単位)からメートル法(メートル単位)に変更した。

1921(大正10)年4月12日、「改正度量衡法」が公布(1924年7月1日施行)され、わが国ではメートル法が基本になった。しかし、当時の日常生活では尺貫法(尺単位)が広く用いられ、製造業では英米の機械とともに導入されたヤード・ポンド法が主流を占めていた。

豊田自動織機製作所が自動車をつくり始めたころは、いろいろな分野の職人たちが転職してきたこともあり、使い慣れた尺貫法を勝手に用いていたといわれる。工場では、「インチ」と「寸・分」が併用され、尺貫法の呼称を流用して、1インチを「1寸」、1/8インチを「1分」、1/16インチを「5厘」と呼ぶなど、寸法に関してはよく確かめる必要があった。

寸法の単位をインチ単位からメートル単位に換えたことで、従来の部品はまったく使えなくなった。同時に、道具、工具、ゲージ類をすべて交換し、全図面を描き直さなければならなかった。膨大な労力と費用がかかる一大事であったが、豊田喜一郎は、「自動車事業が何時迄も、吋(インチ)で進むことは国家として非常な損失であります。(中略)如何なる犠牲を払っても此の際之をメトリック式にしなくては、将来の国民に対して申訳ない」と述べていた。1

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