第3節 排出ガス規制への対応

第2項 排出ガス低減への取り組み

トヨタの取り組みは、1962(昭和37)年、米国カリフォルニア州における「クランクケース・エミッション規制」への対策からスタートした。1964年、排出ガス対策がトヨタの将来の大きな課題の一つとなると判断し、当時の第1技術部第3エンジン課に排出ガス対策グループを組織し、排出ガス対策の基礎調査を開始し、1965年にプロジェクトチームを結成した。

1966年に日本でのCO規制に対する認定取得が始まり、同年、米国カリフォルニア州政府の認証も取得した。1967年4月には、米国政府が初めて施行した1968年規制に対して、トヨタは他社に先駆けて認証を取得した。1

1968年、東富士自動車性能試験場の一角に排気ガス実験棟が完成し、排気プロジェクトチームのうち、先駆的研究部門を本社より東富士に移し、サーマルリアクター2、触媒、EGR(排出ガス再循環装置)3、アフターバーナーなどの先行開発と燃焼制御の研究を進めた。毎年の排出ガス規制に合格する車を開発する作業は、東富士と本社技術部との緊密な協力のもとに推進していった。

1970年7月に、排出ガス対策を全社的に集中展開するためのセンターとして開発企画室を設置した。本社の第4技術部と東富士の第8技術部が排出ガス対策の研究開発と実験テストを担当し、他の関連技術部がサポートするというプロジェクト方式を採用し、この開発プロジェクト全体を管理・推進するための組織として開発企画室を設置したのである。

1971年2月、東富士研究所を新設して4研究開発体制を強化する。同年3月には、排出ガス浄化装置の開発・適合試験を行うための排気ガス試験棟を増設し、11月に排出ガス対策の基本的な研究設備として、実験室、技術員室、電算機室からなる3号館、さらに1973年1月に、ミニコンピューターによるシャシーダイナモメーター5の自動運転装置を備えた台上試験棟を完成させた。

この東富士研究所の増強と呼応して、本社技術部の増強も急ピッチで進めた。エンジン実験設備の強化を例にとると、エンジン実験室をもつ技術6号館を1971年に、シャシーダイナモメーターのある技術7号館を1973年に、同じく技術7号館Bを1974年に、そして、1977年12月には技術9号館を完成させた。こうしてテストコースを中心に広々としていた技術部門の敷地には数多くのビルが立ち並び、その景観は大きく変化した。エンジンをはじめとする公害対策の設備投資額は、この時期に急増したのである。6

排出ガス対策の研究開発に携わる人員は毎年、急ピッチで増加し、1970年の519人から、1974年には1,870人となった。また、排出ガス対策にかかわる研究開発費は1970年の28億円から、1974年の188億円へと増加している。

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