第4節 世界各地で充実する海外事業

第6項 中南米・中近東・アフリカ

中南米

中南米諸国では、1980年代まで輸入代替のための国内工業化が進められた。自動車に関しては、完成車の輸入を原則禁止する一方、高率の国産化率を課したうえでの自動車生産促進政策を採用したため、トヨタの自動車生産事業も国ごとにランドクルーザーなどの小規模なコンプリート・ノックダウン(CKD)生産を展開してきた。1980年代までに中南米諸国に設立された現地法人としては、1959(昭和34)年にトヨタ初の本格的な海外拠点として生産を開始したブラジルのブラジルトヨタ(TDB)をはじめ、1960年代に操業開始したベネズエラのトカルス社、1980年代に操業開始したウルグアイのAYAX社などがある。

しかし、各国の工業化政策は補助金頼みのぜい弱な産業構造を生み、1982年にメキシコの債務危機が露呈すると、中南米諸国は過重な債務とハイパーインフレという重篤な混乱に見舞われた。危機の打開を図るため、各国では1980年代末から相次いで新政権が成立し、経済政策を自由化路線へと転換していった。自動車についても、1990(平成2)~92年にブラジル、アルゼンチンなど主要国で、高関税ながら完成車輸入が解禁された。

このような状況のもと、トヨタは1991年にブラジル市場へクラウンを試験投入したのをはじめ、順次ベネズエラ、アルゼンチン、ペルー、コロンビア向けに輸出を始めた。ただし、関税は35~70%と高率で輸入車種の制限などもあったため、一部を除いて各国でのCKD生産も継続した。1990年代に入ると各国の地域経済連携の動きが活発になり、1995年1月にブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイによる南米南部共同市場(メルコスール)1が関税同盟として発足した。また、1996年にはコロンビア、エクアドルなど4カ国による自由貿易圏のアンデス共同体(CAN)2が結成された。

トヨタは、こうした事業環境の変化に対応して1993年に「ブラジル・アルゼンチン事業準備室」を発足させ、検討の結果、ブラジルでカローラ、アルゼンチンで商用車のハイラックスを生産分業することを決定した。この方針に従って、アルゼンチンでは1994年5月にデカロリ社との折半出資による合弁会社アルゼンチントヨタ(TASA)を設立し、1997年から生産を開始した。

一方、ブラジルでは1990年にTDBが取得していた用地に第2工場を建設し、1998年からカローラの生産を行った。両社はメルコスールに基づき、域内での完成車や部品の相互補完体制を構築していった。

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