第5節 生産体制と販売体制の強化

第2項 田原工場の建設

1976(昭和51)年6月、トヨタは愛知県渥美郡田原町(現・田原市)に田原工場の建設を決定した。この用地の決定にあたっては、年産300万台体制の組立工場用地ということで、東海3県を中心に広域的な調査を行った。その結果、愛知県が東三河臨海工業地帯に造成中の用地が最適ということになり、1974年6月以降数次にわたって譲り受けた。本社地区から60㎞と離れているが、約300万m2という広大なもので、北側と東側は三河湾に面している。

1976年8月には、工場建設の基本方針を次のように決定した。

  1. 1.用地の広大なスペース、臨海立地という条件を生かして、主として輸出車を対象とした近代工場を建設する。また、既存工場では実施しにくい新たな試みを積極的に導入する。
  2. 2.年間300万~320万台以上の生産体制に対応する。当面は、プレスから組立までの月産2万台規模とし、将来は粗形材から車両組立までの月産4万台の生産体制を想定する。また化成品の生産も行う。
  3. 3.年間150万台の輸出に対応するため、用地内に輸出基地を設ける。

この構想のもとに、1977年4月、田原工場建設企画連絡会が設置され、10月に建設委員会が発足した。

組立工程は年間10万台程度の能力をもち、多種少量生産のフレキシブルなラインとした。最初の組立車種は、次期ハイラックスの四輪駆動車と、本社工場で組み立てていたスタウト(商用車)である。完成車の組立工場としては初めて本社地区を離れるため、輸送体制には工夫をこらした。省エネルギーや作業環境についても新機軸を盛り込み、作業姿勢を考慮したラインづくりをするなど、働きやすい工場を目指した。

1978年2月、第1期工事として135億円を投じた組立工場の建設に着手した。1979年1月、完成修祓式とハイラックスのラインオフ式を行い、田原工場はトヨタの10番目の工場として稼働を開始した。1980年1月には、輸出向けカローラを組み立てる第2ラインも稼働を開始した。

トヨタは田原第1工場でハイラックスをラインオフした翌月、広大な田原用地に第2工場を建設することを決定した。1970年に稼働した堤工場に続く乗用車生産一貫工場として、田原第2工場の検討を進めた。

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