第4節 自動車部組立工場と挙母工場の建設

第5項 「ジャスト・イン・タイム」の起源

豊田喜一郎は、挙母工場の操業開始に際して、「ジャスト・イン・タイム」生産を提唱していた。1現在のトヨタ生産方式における「ジャスト・イン・タイム」の起源である。

私は之を「過不足なき様」換言すれば所定の製産に対して余分の労力と時間の過剰を出さない様にする事を第一に考えて居ります。無駄と過剰のない事。部分品が移動し循環してゆくに就いて『待たせたり』しない事。「ジャスト、インタイム」に各部分品が整えられる事が大切だと思います。これが能率向上の第一義と思います。

当時、喜一郎から「ジャスト・イン・タイム」の考え方を指導された豊田英二は、次のように説明している。2

喜一郎の考えた生産方式を要約していうと、「毎日、必要なものを必要な数だけつくれ」と言うことである。これを実現するには全工程はいやでも流れ作業にならざるをえない。「ジャスト・イン・タイム」というのも、そのとき喜一郎が言い出した言葉で、要は「間に合えばいい。余分につくるな」ということである。

また、挙母工場で機械工場を受け持った岩岡次郎の回想によると、喜一郎は「挙母に行く前から、『ジャスト・イン・タイム』は口癖のように言っていました」との証言がある。3

操業開始当初の挙母工場では、粗形材部門と機械加工部門の中間に整備室を設け、「ジャスト・イン・タイム」生産に移行する前段階の生産方式を採用した。つまり、整備室はその日の計画数量だけ粗形材を機械工場へ渡し、機械工場は受け取った数量に見合う完成品を作って組立工場に渡す、組立工場はその分だけの完成車をラインオフさせる方式である。その日の計画数量を製造して後工程に渡したら、その部署はラインを止めるという生産システムで、伝票などを用いない画期的な管理方法を喜一郎が提案したのであるが、その考え方が理解されるには多くの時間を要した。4

このため、当面は後述の「号口管理」による生産管理を行った。さらに、戦時統制が一段と強化されるなかで、1939年には自動車生産用資材の割当配給制が実施され、必要なものを、必要なときに、必要な量だけ入手することは不可能になった。当然、「ジャスト・イン・タイム」生産への取り組みも、中断を余儀なくされた。

「ジャスト・イン・タイム」の発想が具体化するのは、戦後、1954年に「スーパーマーケット」方式が提唱されるまで待たなければならない。これは、後工程が前工程へ必要なものを取りに行くという考え方である。さらに、それを実施するための道具として「かんばん」が考案され、「かんばん」方式と称されるようになった。 このように、名称はさまざまな変遷をたどったが、「ジャスト・イン・タイム」の基本概念に変わりはなく、「自働化」の概念とともに、トヨタ生産方式を構成する二本柱の一つとなっている。

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