第2節 交通事故増加への対応

第4項 トヨタESVの開発

交通事故の多発は、海外諸国でも深刻な社会問題となっていた。こうしたなか、車両としての安全度を究極まで研究し、車両安全に関する技術水準の向上を図るため、1970(昭和45)年2月、米国運輸省がESV(実験安全車、Experimental Safety Vehicle)の開発計画を提唱した。

当時、米国では自動車事故(死者数)の約60%が自動車の乗車中に起きていた。乗員保護を中心とした「自動車の安全」が大きく取り上げられており、提唱されたESV計画は、「乗員保護」と「運転者の危険回避」のための安全性の追求、技術の向上を目標とした。

米国政府は、日本政府および西ドイツ政府などにESV開発の協力を求め、その製作を呼びかけた。1970年11月、日米両政府間でESV開発に関する覚書が交換され、日本はESV計画に参加した。米国が車両重量4,000ポンド(約1,800㎏)のESVを開発し、日本を含むその他の国が2,000ポンド(約900㎏)のESVを開発することとなった。1米国、日本、西ドイツなど世界各国の自動車メーカーはそれぞれの最高技術を駆使して、このESV開発に挑んだ。

日本政府は1971年5月、米国のESV仕様を参考にしてESV日本仕様を決定し、開発メーカーを募集した。ESV日本仕様は、時速80㎞で衝突あるいは追突されても、乗員に加わるショックが生存可能な範囲内で、さらに生存空間を確保し乗員が車外に放出されない車の開発を目指すものであった。2

トヨタは同年6月、2,000ポンド(約900㎏)のESV開発に応募した。交通事故防止に積極的に協力できること、将来の安全基準にも早くから対処できることなどを考慮して応募した。

トヨタESVの開発は、1971年2月に開始された。ボデー、ブレーキのほか艤装3、シャシー、駆動など各部門が緊密に連絡し合い、また、日本電装(現・デンソー)、アイシン精機などの協力も得て開発を進めた。先行開発、1次試作、2次試作を経て、1973年6月には規格どおりのESVを完成させ、同年9月から12月末にかけて、合計10台を政府に納入した。このESVについては、日本ESV仕様に基づく性能試験が実施され、1974年3月には全項目の試験を終了した。

トヨタESVは、時速80㎞で正面衝突した際の巨大なエネルギーを吸収するため、フロント部にS型フレームを採用した。また、クォーターピラーを垂直に近い形状とすることにより、追突された時の車室内への変形侵入量を極力小さくした。サイド構造も、側面衝突の衝撃から乗員を守るため外側に強固なビーム4を通し、内部はドアトリム5で乗員を保護する仕組みとした。

さらに、乗員拘束装置として、乗員がシートに座ると自動的にベルトが着用状態になるパッシブラップベルトと、衝突を予知して格納されたバッグを膨らませ2次衝突による傷害を軽減するエアバッグ装置を併用した。ブレーキは前後輪ともディスクブレーキとESC(アンチスキッド装置)を併用し、最高のブレーキ性能を目指すなど、各種の新規システムを開発した。

1972年11月に開催された第19回東京モーターショーに、トヨタESV-1(第1次試作車)に実用性などを加味して製作したトヨタESV-2を出品した。車両安全技術の研究開発にトヨタグループあげて取り組むトヨタの姿勢を示して注目を集めた。

ESVは「実験車」としての完成はみたものの、コスト、生産性などについては考慮されていなかった。しかし、トヨタは、このESVの開発途上で得られた車両安全技術について、量販車にも採用可能なものは積極的に実用化していった。なかでも、1973年8月にモデルチェンジしたコロナ(RT100型)は数多くの安全技術を盛り込み、トヨタESVの思想と安全技術を量販車として結実させたものであった。大型衝撃吸収バンパー、樹脂製大型一体成形のインストルメントパネル、エネルギー吸収ステアリングなどの新機構が開発、搭載された。また、予防安全装置として開発されたOKモニター6なども搭載された。

こうした車両安全装置も市場で評価され、コロナはこの年の12月から1976年10月まで、連続35カ月にわたって小型車のベストセラー・カーの座を保ち続けた。

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