第5節 国内販売体制の拡充と海外市場の開拓

第2項 トヨタオート店の設立

カローラの増販によって、パブリカ店の販売台数は急激に伸びていった。パブリカ店の取扱車種はカローラ発売まではパブリカのみで、その販売規模は1965(昭和40)年の月平均で見ても、8,000台程度であった。カローラの発売後、爆発的な人気によって一気に拡大し、1967年には2倍以上の月平均1万8,000台に急増した。

しかも、トヨタのカローラ増販計画によると、販売規模は拡大の一途をたどる見込みであった。しかし、このような急激な拡大のテンポは、パブリカ店の販売力増強のテンポを超えるおそれがあり、トヨタはパブリカ店に続く販売店系列の新設を決定した。

新販売店系列の設置計画は、カローラ・シリーズの新車種カローラスプリンター(のちにトヨタスプリンターとしてカローラ・シリーズから独立)の発売スケジュールが決定したのを機に、1967年6月から準備段階に入った。設立の基本方針は次のとおり、パブリカ店設立時の経験を生かしたものであった。

  1. 1.地元の新資本と人材を集める。自動車関係に経験のある人材が集まらない場合は、既存の販売店に人材の応援を依頼する。
  2. 2.大府県には2店以上設立するが、その場合は府県内を分割し、各店が担当すべき主たる販売地域を定め、不必要な競合を避ける。
  3. 3.取扱車種は、当面、カローラセダンとパブリカセダンをパブリカ店との併売とし、ミニエースを専売とする。そして、スプリンター発売後は、これを専売車種として加える。

以上の方針に基づいて設立準備が進められ、販売店の積極的な協力によって、同年10月までに約20店が内定し、11月には早くも3店が営業を開始した。この後、トヨタオート店の設立は急ピッチで進められ、翌年(1968年)3月末までには、パブリカ店や他社系列から変更した販売店を含めて、全国で43店のトヨタオート店が発足した。トヨタオート店の設立によって、トヨタはパブリカ店(1969年、カローラ店に名称変更)とあわせて、大衆車の販売を担当する2つの販売チャネルを確立した。

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