第5節 生産体制と販売体制の強化

第3項 国内販売体制の強化

1971(昭和46)年8月、米国のニクソン大統領によるドル防衛策が発表され円の対ドルレートが上昇し、同時に米国では10%の輸入課徴金が実施されたため、日本では不況感が広がった。

こうしたなか、トヨタは全国の販売店に対して、間接部門の人員を必要最小限まで圧縮し、間接部門から直接部門へ人員を移動することによって、贅肉のない筋肉質ディーラーへ脱皮するという方針を固め、販売店の体質強化を誘導していくこととした。

販売店の体質強化には、セールスマンの増強が不可欠であった。トヨタは1972年5月に車両本部内に販売店室を発足させて、販売店でのセールスマン採用体制の強化、採用に関するノウハウの開発に取り組んだ。販売拠点の増設にも力を入れた。販売店の拠点増設意欲を促進するためにも、好条件の資金融資を用意する必要があり、希望する販売店にはトヨタから資金を融資することとして、1973年4月に販売店への設備資金融資をスタートさせた。

販売店の努力と採用活動・拠点増設に対する支援によって、トヨタの販売体制は強化されていった。セールスマンは1972年9月末の2万4,700人から、1年後には2万6,900人と10%近く増加し、新車販売拠点も1972年9月末の2,251カ所から、1年後には2,440カ所へ、さらに翌々年には2,594カ所へと増加していった。直間比率も1971年9月末の48.7%から2年後には52.6%へと向上した。

また1973年4月には、愛知県愛知郡日進町(現・日進市)に研修センターの建設工事を開始した。1958年にセールスカレッジを中部日本自動車学校内に開設して以来、販売教育は年を追って盛んになった。1961年に移転した春日トレーニングセンターもマネージャー教育の充実や部品、産業車両部門への拡大などによって手狭になっていた。1974年10月、研修センターの完成によって、より良い環境でさらに充実した販売教育が実施できるようになった。

1976年に入ると、市場が回復基調をたどり始めたと判断し、同年春に大規模な販売力増強計画を立案し、積極的に推進することとした。その計画内容は、次のとおりである。

  1. 1.1977年央までに全国販売店のセールスマン数を10%増員して3万人とし、1978年にはさらに2,000人増員する。
  2. 2.全国販売店の新車販売拠点についても、1977年央までに10%増設し、合計3,000カ所とする。

1976年5月、トヨタ自動車販売店協会の役員会において、トヨタはこの販売力増強2カ年計画を販売店側に提示し、販売店の理解を得て翌6月からスタートした。

この販売力増強計画では、トヨタは資金が不足している販売店には希望に応じて資金を融資しバックアップした。1973年に実施した設備資金融資に続く、第2次の設備資金融資であった。2年据え置きの5年払いという有利な融資条件によって、1976年7月から1978年6月末までの2年間の融資累計額は、約300億円に達し販売拠点の増強に大きく寄与した。

しかし、この計画に沿ってセールスマンを大量に採用することは、決して容易なことではなかった。トヨタの販売店室は、販売店とタイアップして行う新聞求人広告を活用し、学生向けにダイレクトメールを送ったほか、各地の大学に働きかけてトヨタ販売店グループとの懇談会を実施するなど、積極的に販売店を支援した。各販売店の人事担当役員も、採用を最重点にして増員計画を推進した。

こうして、各販売店の販売力増強は進み、全国のトヨタ販売店のセールスマン数は、1977年6月には予定どおりほぼ3万人に達した。全国の新車販売拠点数も、1978年9月末現在で2,962カ所に達し、目標の3,000カ所に近いレベルを確保した。

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