会社再建の方策

1945(昭和20)年9月25日にトラックの製造が許可され、トヨタ自工は12月8日に民需転換の許可を得た。

そのようなさなかの1945年12月10日、赤井久義副社長が交通事故で死去した。戦時中、軍の監督下に置かれた会社運営を、豊田喜一郎社長に代わって担当してきた赤井副社長の急逝は、会社にとって大きな痛手であった。

会社再建の陣頭指揮をとることになった喜一郎社長は、次のように自らの覚悟を語った。

果たしてやり通せるかどうかは解りません、今となっては事の成否は別問題として、倒れて後止むの覚悟を以て邁進努力し、起死回生の境地を切り拓かねばなりません。1

そして、実施すべき方策4点を提示した。

  1. 1.酷使され、劣化した機械・設備を修復・更新するため、「臨時復興局」を設け、工場設備の復旧を総合的に推進する。
  2. 2.部品製造の方針を転換し、独自の実力を備えた専門部品工場を育成・確立する。
  3. 3.戦時中に停滞した車両の改良・改造を実施し、設計変更を図るとともに、補修用旧部品の円滑な供給体制を確立する。
  4. 4.統制経済下の自動車配給・整備会社を変更し、ユーザーの自動車に対する希望や申し入れ、意見などが改良に十分反映できる販売体制を確立する。

それぞれの具体的な取り組みを述べていく。

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