第1節 多様な車種開発と国内販売の拡充

第4項 200万台体制への挑戦

「ビスタ店」を新設

第1次石油危機の影響や排出ガス規制の強化により、1970年代後半の国内自動車市場は低迷が続き、トヨタ車の新車登録シェアは1975(昭和50)年から3年連続で低下した。こうした事態を受け、1978年にトヨタ自工とトヨタ自販は国内販売200万台体制の目標を掲げた。当時、円高や貿易摩擦によって輸出環境は厳しくなりつつあり、数年後には500万台に達すると想定された国内登録車市場(軽自動車除く)でシェア40%を確保し、優位なポジションを固めることがねらいであった。

200万台体制の実現に向けて、新しい販売チャネルを創設する構想がもち上がった。当時の国内4系列の営業戦力を増強するだけでは、時間的にも規模の面でも限界があることは明らかになったからである。既存販売店も苦しい経営状態にある時期での新店設立には議論が百出したが、結局、販売網の活力を維持するためにも新プロジェクトが必要との結論に至り、1979年2月の工販政策合同会議で正式に決定した。

この年の6月に自販は大幅な役員異動を行った。神谷正太郎会長が名誉会長に、加藤誠之社長が会長に、そして新社長には山本定藏副社長が就任し、この新しい経営体制のもとで国内販売200万台へ挑むことになった。

新チャネルの名称は、英語で「展望」を意味する「ビスタ(VISTA)」を選んだ。Vは、「勝利のV」であると同時にローマ数字の5であることから、「第5チャネル」に通じる意味合いもあった。1979年3月にトヨタ自動車販売店協会役員会の席上で基本方針を発表して新店の候補探しに着手する一方、6月には自販に車両第5部を発足させた。候補企業は157社に及び、選考作業は難航したものの、最終的に全国を網羅する66社を選出した。

1980年4月、ビスタ店は新開発の上級小型車「クレスタ」やダイハツ工業が生産する新小型4輪駆動車「ブリザード」など5車種を扱い、全国208の新車拠点で営業を開始した。各店では店頭販売の比率を高めるという方針のもと、斬新な店舗づくりや広告宣伝の重点投入など新しい販売手法に挑戦した。

ビスタ店は店頭での受注が当時の販売業界では異例の約4分の1に達し、1980年の販売実績は目標の4万2,000台を大きく上回る5万1,000台にのぼった。また、現在では当たり前になった日曜営業もビスタ店のアピールポイントとして当初から取り組んだものである。ビスタ店の成果を踏まえ、1982年6月から7月にかけてすべてのトヨタ販売店で日曜営業が導入された。販売店では労務上の規制も考慮して、代休制度の導入など地道な取り組みで克服し、日曜営業を軌道に乗せていった。

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