第2節 自動車試作

第6項 AA型乗用車とGA型トラックの発表

豊田自動織機製作所のG1型トラックは1935(昭和10)年11月に発表され、12月には販売店第1号となった日の出モータースから発売された。同年中の販売台数は14台である。

当初、G1型トラックはリアアクスル・ハウジングが折損する故障が多発した。1スケッチしたフォード・トラックのリアアクスル・ハウジングは、ハウジングの一部を構成するパイプとフランジをフラッシュバット溶接(突合せ溶接)で接合し、両部品相互の接合面すべてが溶着されていた。ところが、その溶接を見抜けず、接合箇所の外面だけをガス溶接で接合する設計にしたため、ガス溶接部分は名古屋へ行く途中で折れてしまうほど弱かった。そこで、パイプとフランジを「焼きばめ」にする設計に直し、この問題を解決した。

これは不具合の一例であり、不具合箇所につき一つひとつ対策を施していった。初期の品質不良について、豊田喜一郎は、「国産車として最初のものなりし関係上、自動車業者各位の理解ある援助に依り、当初出したる自動車は、今よりすれば殆んど使用に堪えざるものなりしにかかわらず、大したる問題を惹起することなくして終わりたるは多幸とすべきものにして、勿論当社として最善のサービスを尽くしたる結果とは云え、最初の国産車なりし恩恵に依るものなり」と述べている。2

G1型トラック、A1型乗用車を改良したのが、GA型トラック、AA型乗用車である。1936年5月、それらを組み立てる「自動車組立工場」が豊田自動織機製作所本社から北東へ1kmほど離れたところに建設された。自動車組立工場の完成に伴って、ボデー試作工場はプレス工場に改装され、プレス部品は新設のボデー工場に搬送されて組み付けられることになった。また、豊田自動織機製作所本社工場のエンジン、駆動、足まわり関係などの製造工程は、一括して「製作工場」と呼ばれ、ここから自動車組立工場へ各種部品を搬送した。

刈谷の自動車組立工場の生産が軌道に乗り、月産100台を超えた1936年9月、14~16日の3日間にわたり東京丸の内の東京府商工奨励館で「国産トヨダ大衆車完成記念展覧会」を開催した。そこでは、AA型乗用車4台、AB型フェートン2台、GA型トラック、DA型バスシャシー、消防車、軍用トラック、ウインチ付ダンプ・トラックなど合計15台が展示された(表1-4)。

表1-4 「国産トヨダ大衆車完成記念展覧会」に展示された車両の仕様(1936年9月)


乗用自動車
(AA型乗用車)
貨物自動車シャシー
(GA型トラック)
乗合自動車シャシー
(DA型バス)
ホイールベース
112・1/4インチ(2.850m)
141・1/2インチ(3.594m)
141・1/2インチ(3.594m)
トレッド前
56・11/16インチ(1.440m)
56・1/2インチ(1.453m)
56・1/2インチ(1.453m)
トレッド後
57・1/16インチ(1.450m)
トレッド後複輪ノ時

71・1/2インチ(1.817m)
71・1/2インチ(1.817m)
全長
186・1/2インチ(4.737m)
223インチ(5.660m)
255インチ(6.500m)
全高
68・5/8インチ (1.743m)


全幅
68・1/4インチ(1.730m)
80・3/4インチ (2.05m)
78.7インチ (2.000m)
自重
3,310ポンド(1,500kg)
4,002ポンド(1,816kg)
3,594ポンド(1,630kg)
積載定量

1・1/2トン-2・1/2トン

エンジン
A型エンジン
A型エンジン
A型エンジン
(出典)
「自動車製造事業法許可申請書」(昭和11年7月23日付)添付の「参考資料」

そして、展覧会開催中の9月14日、豊田自動織機製作所と日産自動車に対して、両社が自動車製造事業法の許可会社に決定した旨の内示があった。

このページの先頭へ