第2節 豊田佐吉の事業
第3項 株式会社豊田紡織廠などの設立
菊井紡織株式会社の設立
1918(大正7)年3月10日、豊田佐吉、藤野亀之助、児玉一造らの出資により、菊井紡織株式会社が設立された。豊田紡織の設立から2カ月も経たない時期で、第1次世界大戦による好況のもと、紡織事業の拡張を図ったものであった。菊井紡織の概要は、次のとおりである。
所在地
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名古屋市中区米野町字頓ヶ島29-1(現在の名古屋市中村区豊成町周辺)
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資本金
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400万円(250万円払込済み)
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経営陣
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専務取締役:豊田佐助、取締役:児玉一造、豊田平吉、豊田利三郎、監査役:豊田佐吉、土屋富五郎
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工場設備
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紡機3万5,322錘、織機588台
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菊井紡織は、世界恐慌時の綿業不況に伴う経営合理化のため、1931(昭和6)年に豊田紡織に吸収合併され、豊田紡織南工場と改称された。その後、1942年の紡織5社の合併により、中央紡績愛知工場、1943年にはトヨタ自動車工業への合併とともに、同社航空機愛知工場となった。1