第2節 工販合併―トヨタ自動車の発足

第3項 国内販売200万台への挑戦

合併後のトヨタは、「国内販売200万台体制」の実現に向け、次々と販売体制の強化策を打ち出した。

国内販売での成果は、販売台数やシェアといった数字により、合併の効果が早期に目に見える形で示される。このため、旧工販の融和のみならず、販売店、仕入先とトヨタの「一体化」を揺るぎないものにするうえでも、販売体制の強化は差し迫った重要課題となっていた。

1982(昭和57)年7月、合併と同時に販売店の営業強化および経営改善策として卸手形サイト(決済期間)の10日延長とマージンの増額を打ち出した。また、第3次となる「戦略的設備資金融資制度」を発足させ、低利融資による販売拠点の新設や改築の推進を図ったほか、営業要員の増強についても手厚い支援策を講じた。

同年10月からはチャネル別・ブロック別に販売店とのトップ懇談会を始めた。懇談会には工場見学や技術部門の紹介なども組み込まれ、工販が一つになった新生トヨタと販売店との距離が縮まったことを実感してもらった。一連の懇談会では、販売店のトップから100項目以上の意見や要望が出され、トヨタはそれらを今後の商品展開や販売施策に反映させることを約束した。

また、合併直前の1年間トヨタ自販の社長を務めた豊田章一郎社長による「対話重視」の方針から、役員が販売店に出向く活動も拡充された。トヨタと販売店の相互信頼関係を築くため、この年は従来の2倍に及ぶ規模で訪問活動が実施された。

工販合併に対しては、融和に長期を要するといった論調がメディアの主流で、業界内では他社によるトヨタ追撃の好機との見方も少なくなかった。しかし、合併のねらいであった意思決定の迅速化は、各部門で着実に実効をあげ、とりわけ、積極的な営業支援策や商品力の強化に取り組んだ国内販売部門では、いち早く合併効果が現れた。1982年のトヨタ車の国内登録台数は前年比2.0%増の152万4,000台に伸び、シェアは同0.5ポイント増の38.8%へと高まった。さらに、翌1983年には159万9,000台へと拡大し、シェアは40.2%と、1974年以来9年ぶりの4割突破を果たしたのである。

このページの先頭へ