第1節 多様な車種開発と国内販売の拡充

第3項 生産体制の拡充と多種少量生産への対応

田原工場の稼働と貞宝工場の建設

トヨタ車の国内生産台数は1980(昭和55)年に329万台と初めて300万台を突破し、1985年には366万台へと急ピッチで拡大した。1981年度からは乗用車の対米輸出自主規制が実施されたが、輸出枠は順次拡大し、国内でも市場ニーズをとらえた新モデルの投入により、着実に販売を伸ばしていった。この年の11月には国内累計販売が2,000万台に達した。

こうした生産・販売の拡大を支えたのが車両組立やエンジン、さらに工機に至るまでの新工場の建設や既存工場の拡充であった。同時に革新的な生産技術の開発による柔軟な生産体制の確立が、新車種立ち上げやモデルチェンジ急増への対応を可能にした。

国内の年産300万台体制をにらんだ工場の新増設は1970年代後半から準備が進められ、1979年1月に年産24万台規模の田原工場(当時・愛知県渥美郡田原町、現・田原市)が稼働を開始した。田原工場は豊田市以外に設けられた初の車両組立工場で、同年には同じ生産能力をもつ田原第2工場の建設も決めた。

モデル数の拡大という当時の状況から、田原第2工場は多車種生産への対応や生産変動への弾力性に重点を置いた。具体的には、プレス工場に生産性の高いトランスファープレスを大量に採用したほか、ボデー工場は3車種混流を可能にするとともに87台の溶接ロボットを導入して高度な自動化を図った。1981年2月に新モデルのソアラで操業を開始し、同年夏にはモデルチェンジしたセリカシリーズの生産に着手した。

エンジン生産を担う下山工場では1977年9月に第2工場が完成したのに続き、1981年8月には第3工場を建設した。上郷工場とともにエンジン専門工場の本格的な2拠点体制を形成し、レーザー・シリーズをはじめ1980年以降に登場した新開発エンジンの増産に対応していった。

1986年には生産設備や金型などの工機専門工場として豊田市貞宝町に貞宝工場を建設し、同年2月に操業を開始した。それまで本社、上郷、明知などの各工場に分散していた造機・造型部門を集結したもので、当時世界でも類を見ない工機専門工場であった。貞宝工場は、生産設備の内製技術力の向上と生産能力の飛躍的な拡大をねらいとし、新開発した製品の速やかな量産化、生産現場のFA化を設備面から強力にバックアップする役割を担った。

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