第9節 量産量販に向けての準備

第4項 アジア諸国への進出

1950年代のアジア諸国、オーストラリア

アジア諸国への輸出は、1956(昭和31)年7月、日本政府の戦争賠償の一部として、ビルマ(現・ミャンマー)へランドクルーザーなど22台が輸出されたのが最初である。その後、フィリピンなどに対する賠償のための輸出が合計約2,500台にのぼった。これらのトヨタ車は、市場開拓の先導役を果たしたが、アジア諸国でCKD輸出が本格化するのは、1961年以降のことである。

オーストラリアに対しては、1957年8月にランドクルーザー12台を輸出したが、同国の厳しい貿易政策により輸出は低迷した。オーストラリアへの進出は、1962年2月にトヨタ自工に輸出部が、トヨタ自販に輸出本部が設置されたのちに本格化する。オーストラリアン・モーター・インダストリーズ社がティアラ(コロナの輸出名、RT20型)の組立生産を開始するのも、1963年初頭からである。

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