第1節 多様な車種開発と国内販売の拡充

第3項 生産体制の拡充と多種少量生産への対応

広瀬工場で電子部品と半導体の内製化

1980年代後半になると、急速な進歩を示すカーエレクトロニクスの分野でも内製化に着手した。

トヨタ車のエンジンは、1985(昭和60)年には電子制御燃料噴射装置(EFI)装着率が49.6%に達しており、そのほか、変速機やサスペンションなども、電子制御化の進展が著しかった。トヨタでは、エレクトロニクス製品の外注依存により生まれる技術のブラックボックス化に危機感をもち、1984年に電子部品の研究開発を推進する方針を決めた。そして、まずパワーステアリング用の電子制御ユニット(ECU)の内製化から取り組んだ。

組織の整備も図り、1985年2月にエレクトロニクス関係の部署を統合して電子技術部を新設し、さらに翌1986年2月には電子生技部を設置した。トヨタ初となるECUの生産は、1985年に本社工場内に生産ラインや試験設備などを導入し、同年11月から開始した。1986年4月には貞宝工場へ設備を移設・増強し、ソアラから搭載を始めた電子制御サスペンション(TEMS)用ECUなどの生産を始めた。

1986年後半からはECUのみならずアクチュエーター(駆動装置)とセンサーを加え、電子部品に欠かせないECU、アクチュエーター、センサーを一体化した開発・生産体制を構築していった。こうした内製化を、トヨタではのちに「技術の手の内化」と呼ぶようになる。その目的は技術のブラックボックス化を防ぐとともに、同様の部品を外部から調達する際に調達先の提案内容を正しく理解・評価し適正な原価・品質を確保することにあった。

1986年10月には半導体の内製化方針を決定した。翌11月の生産機能会議で半導体・電子部品の専門工場として広瀬工場の建設計画を正式承認し、1989(平成元)年に完成させた。広瀬工場の用地には、1985年に取得した豊田市と西加茂郡藤岡町(現・豊田市)にまたがる西広瀬工業団地内の約25万㎡をあてた。

電子部品の内製化に踏み切ったものの、トヨタには半導体の技術蓄積がなかったため、1987年3月に東芝と技術導入に関する基本契約を締結した。契約の内容は、半導体工場建設から設計・製造の技術協力、技術指導に伴う人材派遣を含む包括的なものであった。1988年9月には社内にME開発部を発足させ、広瀬工場の敷地内に半導体の研究開発拠点としてME技術棟を完成させた。その後、クリーンルームの建設や設備の導入を進め、1989年3月に半導体工場が完成した。

工場の完成に先立ち、1987年から東芝、日本電装(現・デンソー)、豊田中央研究所から実習受け入れや技術指導などの支援を受けて人材育成を進め、早期の工場立ち上げを実現した。

広瀬工場では、「手を染めて設計し、苦労して生産するものでなければ技術は身につかない」という精神で電子部品や半導体の内製に挑戦した。こうしたエレクトロニクス分野の「手の内化」は、1990年代半ばから加速する自動車の安全・環境技術の開発競争においてトヨタの先進技術力を支えることになった。

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