第5節 戦時下の研究と生産
第9項 航空機の開発と製作
トヨタ自工航空機工場
1943(昭和18)年1月、東海飛行機の計画とは別に、陸軍からトヨタ自工に対して、「ハ13甲2型」航空機用エンジンの生産要請があった。トヨタ自工は、これに応えて刈谷に航空機工場を設け、1944年からその生産を開始した。1
既述のとおり、東海飛行機では、水冷エンジンの「ハ140」を生産する前段階として、空冷エンジンの「ハ13甲2型」の製造を行う予定であった。しかし、東海飛行機が設立される以前に、陸軍は方針を変更し、「ハ13甲2型」の生産をトヨタ自工に依頼してきたのである。
陸軍の要請を受けたトヨタ自工は、1943年1月26日に社長(豊田喜一郎)名で航空機発動機に関する「試作命令」を発し、「試作台数5台、試作期間3カ月」という目標を立てた。2これに基づいて製作準備を開始し、同年3月には挙母工場の工機工場や機械工場の一部を利用して、「ハ13甲2型」エンジンの機械加工が着手された。その後、工作機械が刈谷部品工場に移転3するなどの事情もあり、開発には時日を要したものの、1944年1月に試作1号機が完成した。
ところで、トヨタ自工では、すでに1942年9月ごろから、航空機用エンジンの各種(水、潤滑油)冷却器や排気管、試作燃料ポンプなどを製作していた。ラジエーターなど自動車用部品の製造技術を応用したもので、中央紡績の遊休工場を利用して製造された。その関係から、1943年8月には電装品部門とラジエーター部門が中央紡績刈谷北工場に移転し、刈谷部品工場として操業を開始した。
この刈谷部品工場で「ハ13甲2型」航空機用エンジンの製造を行うため、1943年9月に自動車用ラジエーター部門(冷却器工場)を挙母工場へ、11月には電装部門を中央紡績刈谷南工場へ移転させた。また、航空機用エンジンの冷却器関係は、航空機用エンジンの排気管を製造していた中央紡績愛知工場(名古屋市)に移した。
1943年11月にトヨタ自工が中央紡績を合併したのを機に、旧中央紡績の要員と工場建物を航空機生産に利用することとし、1944年1月には航空機工場、航空機分工場、航空機愛知工場の3工場が発足した。それぞれの工場の来歴をまとめておくと、次のとおりである。
- 1.航空機工場:中央紡織工場から中央紡績刈谷北工場、刈谷部品工場を経て航空機工場に
- 2.航空機分工場:豊田紡織刈谷工場から中央紡績刈谷南工場を経て航空機分工場に
- 3.航空機愛知工場:菊井紡織工場から豊田紡織南工場、中央紡績愛知工場を経て航空機愛知工場(のちトヨタ自工中川工場)に
トヨタ自工航空機工場の組織と製品の概要は、図1-1および表1-17のとおりである。
表1-17 トヨタ自工航空機工場・愛知工場の製造品目(1944年)
工場名
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製造品目
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航空機工場・分工場
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航空機用空冷星型9気筒エンジン「ハ13甲2型」の部品加工、エンジン組立を担当。
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航空機愛知工場
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航空機エンジン用排気管(キ61Ⅰ・Ⅱ型用、キ67用)
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冷却水冷却器(キ61Ⅰ・Ⅱ型用)
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潤滑油冷却器(キ61Ⅰ・Ⅱ型用、キ67用、キ84用、キ46Ⅱ・Ⅲ型用、E16A1-11型用)
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航空機エンジン用燃料ポンプ(キ84用、キ67用、キ46Ⅲ型用)
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中間冷却器(排気タービン過給器用インタークーラー)(キ74用、キ94用)
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- (注)
- 「キ61」は、3式戦闘機「飛燕」。「キ67」は、4式重爆撃機「飛龍」。「キ84」は、4式戦闘機「疾風」。「キ46」は、100式司令部偵察機。「E16A1」は、水上偵察機「瑞雲」。「キ74」は、試作遠距離偵察爆撃機。「キ94」は、試作高高度戦闘機で、1946年にトヨタ自工へ入社した長谷川龍雄が立川飛行機在籍中に、主任設計者として終戦間際に同機を完成した。同機には排気タービン過給器付きの「ハ219ル」(統一呼称「ハ44-12」)エンジンを搭載。
なお、「ハ13甲2型」エンジンの粗形材は、挙母工場の鍛造工場や軽合金鋳物工場で製造され、機械加工の一部も行われた。
結局、トヨタ自工では、1945年8月15日までに「ハ13甲2型」エンジンを合計151台製作し、そのうち試験完了済みの完成基数は142台であった。4