トヨペット・クラウンの生産増加

1955(昭和30)年1月に発売されたRS型クラウンとRR型マスターは、車両の好評にもかかわらず、販売は伸びなかった。販売が低迷するなかで、同年6月から翌1956年1月まで週6日稼働を5日にする操業短縮が行われた。当初の生産計画では、クラウンとマスターの両車種で月産1,000台を予定していたが、1955年の両車合計の平均月産台数は617台、クラウンは229台にとどまった。

RS型クラウンは自家用車向け、RR型マスターは営業車向けに販売されたが、クラウンの足まわりが営業用として充分耐えることがわかり、ハイヤー・タクシー業界からクラウンの営業車利用の要望が出された。これを受けてトヨタ自工は、1955年12月に自家用車向けにクラウン・デラックス(RSD型)を発売し、RS型をクラウン・スタンダードの名称で営業車向けにも販売することになった。

1956年になるとクラウンの生産台数は急増し、同年の平均月産台数は771台に達した。クラウンとマスターの合計では、年間1万2,001台と月平均1,000台を達成し、10月にはクラウン単独で月産1,000台を超えた。このため、同年11月にはRR型マスターの生産を打ち切った。

その後、クラウン・スタンダード(RS型)、クラウン・デラックス(RSD型)は、逐次性能の向上が図られ、1956年10月にエンジン出力が48馬力から55馬力に、1958年4月には58馬力に増強された。そして、同年10月には両車種の改良を実施し、新しいクラウン・スタンダード(RS20型)とクラウン・デラックス(RS21型)を発売した。

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