第8節 本格的乗用車トヨペット・クラウンの登場

第4項 自動車市場の変化

クラウンの「ロンドン・東京5万キロ・ドライブ」

1956(昭和31)年4月30日、朝日新聞社の辻記者と土崎カメラマンは、トヨペット・クラウン・デラックスを運転してロンドンを出発した。これは、「ロンドン・東京5万キロ・ドライブ」と銘打った同社のイベントで、国産乗用車によるロンドン・東京間の走行状況を伝える連載記事のための企画であった。トヨペット・クラウンは、山岳路や砂漠地帯の厳しい道路事情に悪戦苦闘しながら、ヨーロッパやアジアの国々を走破し、同年12月29日に挙母工場(現 本社工場)に、12月30日に東京に到着した。

その19年前の1937年4月6日、朝日新聞社所有の純国産機「神風号」(三菱重工業製「キ15」試作2号機)が、英国王戴冠式の奉祝飛行のため、ロンドンに向けて東京を飛び立った。全飛行距離1万5,000km、所要時間94時間17分56秒で、同月10日にロンドンへ到着した。奇しくも、この年にトヨタ自工が設立され、東京・ロンドン間の所要時間を当てる懸賞の副賞として贈呈されたのが、トヨタAA型乗用車であった。

国産乗用車トヨペット・クラウンの快挙に重ね合わせて、19年前の神風号を想起した読者は少なくなかったはずである。トヨタ自工にとっては、古い縁がよみがえるとともに、トヨタ車が海外市場で活躍する将来の姿を想像させるものであり、海外進出を現実のこととして検討する契機となったといえよう。

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