第4節 新規事業への取り組み

第3項 通信事業への参入

KDDIへの再編

トヨタが参画した電気通信事業3社のうち、国際通信のIDCは順調に相互接続国を伸ばすなど、事業領域を拡大した。業績も、1992(平成4)年度に営業損益が黒字に転換し、1998年度には累積損失を一掃するに至った。しかし、国内長距離通信のTWJと、移動体通信のIDOは、それぞれの事情から苦戦を強いられた。両社は事業資金を捻出するために増資を重ね、その結果、トヨタの出資比率は過半数に達し、1998年には連結子会社となった。

TWJは東京・名古屋・大阪に光ファイバーの専用通信網を敷設し、事業を開始した。しかし、大都市圏以外ではNTTなどとの相互接続が必要なことから、料金が割高となって競争力を失う一方、IDOは、無線方式でつまずいた。当初、移動体通信では自動車への搭載を念頭に置いたため、NTTとの端末の共通化を強く意識し、同社と同じ無線方式を選択した。ところが、当時の日米経済摩擦により米国のモトローラ社方式の導入が政府間で合意され、IDOも同社の方式を採用せざるを得なくなった。その結果、初期投資の回収が終わる前に新たな設備投資を重ねなければならず、資金不足が常態化していった。

1990年代末になると、日本の電気通信業界は資本リスクの高い業種となり、生き残りをかけた再編の動きが起こった。まず、TWJは1998年12月に国際電信のKDDと合併し、新生KDDとなった。IDCは、トヨタとともに株主であったケーブル・アンド・ワイヤレス(C&W)社が、1999年に敵対的株式公開買付(TOB)をかけるという異例の事態となり、同年5月にC&W社の傘下となった。

さらに、新生KDDは一段の事業統合に乗り出し、トヨタ系のIDOと京セラ系のDDIグループと統合して2000年10月にKDDIとして新発足した。これにより、KDDIはNTTにつぐ総合通信事業者の位置を占めるようになった。

トヨタはこうした一連の再編の過程で、巨額の資金を要する通信インフラ事業への関与を徐々に軽減させる一方、ITの活用など通信分野のノウハウを「クルマの進化」に生かすための体制を整えていった。

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