第1節 バブル崩壊後の日本経済・国内市場

第1項 バブル崩壊後の国内経済

第1・2次中長期収益対策

トヨタは1990(平成2)年6月期に7,338億円(単独決算、以下同)と過去最高の経常利益を計上したものの、翌1991年から大幅な減益に陥り、1994年6月期の経常利益は2,140億円にまで落ち込んだ。バブル経済のピーク時から固定費や直材費、労務費の増加ペースが売上高の伸びを大幅に上回るコスト構造となり、バブル崩壊による国内需要の低迷が業績を直撃した結果であった。

各部門では設備投資の削減や研究開発のスリム化などを進めたが、さらなる損益分岐点の引き下げが必要となり、1992年5月に専務会直轄の全社的な「第1次中長期収益対策プロジェクト」を発足させ、経営の効率化を推進することとした。同プロジェクトは、1990年代半ばの世界販売目標に対して、市場動向などによって達成が最低レベルに陥っても採算が取れる企業体質づくりを目指したものであった。推進は岩崎正視副社長をリーダーに、各担当専務および商品企画部、経理部、購買企画部、技術企画部など8部からの専任メンバー8人で構成し、経営企画部が事務局となった。

同年6月から3カ月の活動を経て、9月の専務会では①商品ラインアップの再構築、②直材費の低減、③設備投資の適正化と需要変動に対応した効率的な生産体制という3項目の重要課題が提案され、ただちに実行に移された。ところが、その後も円高の進行など環境変化が進んだため、1993年6月から10月にかけて「為替変動に左右されない体質」の構築を図る「第2次中長期収益対策プロジェクト」を展開することとなった。

この第2次プロジェクトでは、1996年の世界販売目標を460万~520万台という変動幅を前提としたうえでの収益確保、さらに1998年度までの長期目標に基づき将来への布石を打つことを基本に据えた。同時に、国内収益の回復、海外事業の自立、急激な国内空洞化の防止など、6項目を重点課題に掲げ、各担当副社長が推進リーダーとなって取り組んでいった。こうして、1995年3月期は会計年度を7~6月から4~3月に変更したことによる9カ月間の変則決算ながら、経常利益が2,362億円と5期ぶりの増益に転じ、ようやくバブル崩壊後の長いトンネルから抜け出すことができた。

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