第7節 設備近代化

第6項 品質管理への取り組み

品質管理体制の確立

トヨタ自工では、1949(昭和24)年初頭から機械工場をモデル工場として、統計的品質管理の準備的な研究調査を開始した。そして、翌1950年1月には本格的な研究に移り、機械加工部品の品質管理をスタートさせた。

品質管理業務は、検査部と機械部が担当し、本来の業務に統計的品質管理手法を適用した。機械加工部品の材料不良については、不良率管理図を用いて管理を行い、管理限界を超えた場合には、粗形材部門に連絡して再発防止対策を講じた。同様に、加工不良についても管理図を利用し、不良が発生した場合には、その原因を探求して対策を検討・実施した。現場に初めて管理図が掲げられたとき、作業者の示した反応は、まったくの無関心、管理されることへの反発、あるいは必要以上に神経質な対応とさまざまであったが、講習会や日々の実践を通じて、統計による管理図の役割が認識されていった。

1953年5月には豊田章一郎取締役が検査部長に就任し、品質管理体制の強化を図った。具体策としては、新設の品質管理係が全製造工程に対する品質管理の実施計画を策定し、その普及を目的に講習会を開いた。また、協力工場でも品質管理を実施するため、協豊会の総会で導入の趣旨を説明し、その徹底と協力を依頼した。

続いて、同年秋には品質管理委員会と7つの専門委員会が設置された。本委員会では、品質管理の普及や教育など制度全般にかかわる事項を立案・審議し、専門委員会では、各製造分野の品質管理に関する事項を審議・推進した。社内・協力工場ともに、品質管理教育に重点を置いて推進に努めた。

さらに、1954年には各工場に分散していた検査業務を検査部に集約し、全社の品質情報を迅速に把握できる体制に改めた。これに伴い、検査部の業務は品質管理へと重点が移ったため、1959年6月に部の名称を品質管理部に変更した。

一方、1959年の元町工場の完成後、トヨタ自工の生産台数と従業員は急増し、1955~60年に年間生産台数は2万1,909台から14万6,207台へと6.7倍に、従業員数は5,162人から9,950人へと1.9倍になった。1

生産台数と従業員数の急増により、品質や従業員の教育に対する配慮が行き届かず、減少を続けていた1台当たりのクレーム費は、1959年から増加に転じた。この状況に危機感を抱いた豊田英二副社長は、1960年6月に「検査に対する要望」を提示し、品質管理委員会で対策の検討を進めた。その結果、1961年6月に品質管理(QC:Quality Control)的な手法を用いて、全社的に経営を管理する全社的品質管理(TQC:Total Quality Control)を導入することが決まった。

その後、1964年にQC推進本部が設置され、本部長に英二副社長、副本部長に章一郎常務と梅原半二常務が就任した。このような体制のもとで、全社的にTQCが推進され、1965年10月11日にはデミング賞実施賞を受賞した。

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