第9節 量産量販に向けての準備

第1項 販売体制の拡充

複数販売店制の推進

1955(昭和30)年1月にクラウンRS型とマスターRR型を発売したことで、トヨタ車の乗用車市場でのシェアは、前年の23.5%から35.2%へと大幅に伸長した。この年を境に、それまで販売の中心を占めた大型トラックは、乗用車や小型トラックの生産台数を下回るようになり、台数的には主力の座から退いた(表1-46)。また、小型トラックが乗用車を上回る伸びを示すなど、わが国の自動車市場の構造は大きく変化していった。

表1-46 トヨタ自工の生産実績(1950~57年)


小型乗用車
大型トラック
小型トラック
合計
台数
構成比
台数
構成比
台数
構成比
1950年
468
4.0%
7,529
64.3%
3,714
31.7%
11,711
1951年
1,470
10.3%
8,989
63.2%
3,769
26.5%
14,228
1952年
1,857
13.2%
7,299
51.7%
4,950
35.1%
14,106
1953年
3,572
21.7%
8,408
51.0%
4,516
27.4%
16,496
1954年
4,235
18.6%
10,044
44.2%
8,434
37.1%
22,713
1955年
7,403
32.5%
6,199
27.2%
9,184
40.3%
22,786
1956年
12,001
25.9%
9,127
19.7%
25,289
54.5%
46,417
1957年
19,885
25.0%
16,219
20.4%
43,423
54.6%
79,527

このような市場の変化に伴い、既存の販売体制では十分な対応が望めなくなったため、複数販売店制の導入が検討された。トヨタ自販の神谷社長がその構想を明らかにしたのは、1956年1月に開かれたトヨタ自動車販売店協会の役員会の席上であり、翌2月には具体的な説明を行った。主な内容は、以下のとおりである。

  1. 1.新設店は、トヨペット・ライト・トラックSKB型(1956年7月に「トヨエース」)、マスターライン・ピックアップRR16型、同ライトバンRR17型を販売する。
  2. 2.新設店は、第1次として18府県で設立する。
  3. 3.既存店による新設店への資本参加は、経営支配にならない程度ならば認める。

説明を聞いたトヨタ販売店経営者からは、新設店へのSKB型、RR16型、RR17型の販売権移管は、既得権を「何かもぎとられる感じで、経営面への影響が心配だ」などの意見が表明された。既存店側としては、不満ではあるが、今後のトヨタ自販との関係も考慮する必要があり、「本日の説明について、販売店がどの辺を得心し、どの辺を泣き寝入りしたかよくご賢察願って、今後の販売店政策を進めていただきたい」という心境であった。1

1956年春には第1次新設店のうち7社が発足した。第1号は、3月20日に設立された地元愛知県の名豊自動車(愛知トヨタ内)である。続いて、4月1日に横浜トヨペット、仙台トヨペット、三重トヨペットの3社、4月2日に埼玉トヨペット、4月10日には岐阜県の丸豊自動車と兵庫県のカネキ商店が加わった。

トヨタ自工では、トヨペット店の設置に備え、トヨペット・ライト・トラックSKB型の大増産計画を立てた。また、ボデーを生産するトヨタ車体でも、1955年暮れに生産設備の増強を実施した。そして、1956年1月には販売価格が大幅に引き下げられ、これを機にSKB型トラックの需要は急増していった。

SKB型の好調な販売実績に支えられ、トヨペット店の新設は順調に進展した。1956年中に37社、1957年には11社が設立され、同年6月1日に発足した島根トヨペットをもって、トヨペット店48店(東京、大阪を除く)がそろった。

なお、トヨペット店の展開に合わせて、1957年7月1日には初代「トヨペット・コロナST10型」が同店から発売された。

一方、1957年3月に新開発のD型ディーゼル・エンジンを搭載した5トン積みDA60型トラックを発売した際、販売会社としてトヨタディーゼル株式会社が発足した。1957年2月から1958年4月にかけて、札幌、宮城、東京、横浜、静岡、名古屋、大阪、神戸、福岡に9社が設立され、その後、1965年にプリンス自動車の販売店から鞍替えした埼玉、千葉の2社が加わって11社となった。

しかし、トヨタ自工のディーゼル・エンジン開発は、小型トラック向けに傾斜していったため、大型トラック市場でのトヨタ車のシェアは次第に低下していった。それに伴い、トヨタディーゼル店の経営も行き詰まり、窮余の策として大衆乗用車パブリカを併売することになった。

その結果、トヨタディーゼル店からパブリカ店(のちにカローラ店)に名称を変更する会社が続出した。最後に残った2社のうち、東京トヨタディーゼルは1980年に解散し、従業員は東京トヨタに移籍した。もう1社の名古屋トヨタディーゼルは、1989年1月1日にトヨタカローラ名都に社名変更し、1996(平成8)年4月にカローラ愛豊に吸収合併された。

このように、国内市場の拡大に対応して、販売店は急速に増加した。初代「コロナ」が発売された1957年7月時点の販売店数は、トヨタ店が49社、トヨペット店が51社、トヨタディーゼル店が9社で、合計109社に達していた。

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