第8節 本格的乗用車トヨペット・クラウンの登場
第2項 大型トラック、全輪駆動車、ディーゼル・エンジンの開発
C型ディーゼル・エンジンの開発
1957(昭和32)年、DA60型トラックの発売に際して、通商産業省は既存のディーゼル・トラック・メーカーを保護する観点から、反対の意を表した。豊田英二専務は、同省重工業局に呼び出され、生産・販売の中止を要請された。
トヨタ自工は、戦前から戦後にかけて過当競争を理由に、ディーゼル・エンジン・トラックの開発をたびたび中止させられてきた。大学の卒業設計に「自動車用ヂーゼル機関」の図面を提出し、入社後もユンカース式ディーゼル・エンジンなどの研究開発に携わった経験を持つ英二専務としては、長年の思いを断ち切るわけにはいかなかった。しかも、1,500ccクラスの乗用車用小型ディーゼル・エンジン(開発番号:3E、製品型式:C型)の試作が1955年末に完成し、同エンジンを搭載した車両の発売が準備中であった。このエンジンは、豊田章一郎取締役検査部長が大学の研究室で行ってきた燃料微粒化の研究を基礎に、開発が進められてきたものである。
また、既述のように、日本電装は1955年2月に政府の認可を得て、ロバート・ボッシュ社から噴射ポンプの技術を導入し、その生産を開始していた。したがって、いまさら通商産業省の生産・販売の中止要請を受け入れることはできなかった。1
トヨタ自工は既定の方針どおり進むことを確認し、乗用車用小型ディーゼル・エンジンC型を搭載したCS20型クラウン・ディーゼルの試作車を、1958年10月11日~20日開催の第5回全日本自動車ショーに出品した。そして、翌年10月19日から同車種の販売をスタートさせた。
なお、クラウン・ディーゼル試作車に搭載した「自動車用小型ディーゼル機関(C型)」は、当時世界最小の乗用車用ディーゼル・エンジンとして、その独創性と優秀な性能が評価され、1958年度の日本機械学会賞(製品の部)を受賞した。2
表1-38 C型ディーゼル・エンジン(CS20型クラウン・ディーゼルに搭載)の仕様(1959年)
項目
|
内容
|
---|---|
型式
|
4サイクル、渦流室式、直列4気筒
|
内径×行程
|
78×78mm
|
総排気量
|
1,491cc
|
圧縮比
|
19:1
|
最高出力
|
40HP/4,000rpm
|
最大トルク
|
8.5m・kg/2,400rpm
|
- (出典)
- トヨタ技術会『トヨタ技術』1959年9月30日
CS20型クラウン・ディーゼルの発売と同時に、D型ディーゼル・エンジンの内径を拡大し、排気量と出力の増大を図った2D型ディーゼル・エンジン(6,494cc、130HP/2,600rpm)も発売された。初期のD型および2D型ディーゼル・エンジンは、構成部品の耐摩耗性や耐久性に問題があったが、着実な改良の積み重ねにより、これらの課題を解消していった。
その後、5~6トン積みから8トン積み、10トン積みへとトラックの大型化が進行したのに伴い、5~6トン積みトラック用のD型系ディーゼル・エンジンの需要は縮小し始めた。これに対して、乗用車の需要が急増したため、エンジン生産は乗用車用に重点が置かれるようになった。大衆乗用車として初代カローラが誕生した1966年には、1月にD型系ディーゼル・エンジンの組立が豊田自動織機製作所共和工場に移管された。同工場では、鋳造から機械加工・組立まで一貫生産を行った。
一方、CS20型ディーゼル・クラウンは、1960年10月に3R型エンジン(1,897cc、90HP/5,000rpm)を搭載したRS31型クラウン1900・デラックスが登場すると、最高出力が40馬力にとどまるC型ディーゼル・エンジンの力不足が目立つようになった。同エンジンは、1,500ccクラスR型エンジンのシリンダーブロックをそのまま流用して、渦流室式燃焼室を採用した実験的なエンジンであった(表1-38)。出力を高めるには、改めてシリンダーブロックを作り直す必要があり、C型ディーゼル・エンジンの生産は、1961年をもって打ち切られた。
1964年にはD型系やC型のディーゼル・エンジンで得た経験を生かし、3R型エンジンと同等の出力を有するJ型ディーゼル・エンジンが開発された。生産を担当したのは、豊田自動織機製作所共和工場である。
以後、トヨタ車のディーゼル・エンジン生産は、豊田自動織機製作所に引き継がれ、排気量の大きさを考慮しなければ、生産台数では世界のトップクラスの座を占めるようになった。