トラック・シャシー流用乗用車の増加

トラック・ボデー架装事業には多くの企業が参入し、激しい競争が繰り広げられた。1949(昭和24)~52年の4年間にトヨタ車体で架装されたボデーは、トヨタ自工でラインオフするトラック・シャシー台数の36%にすぎなかった。1荒川鈑金工業、関東電気自動車製造、セントラル自動車の3社の小型自動車(乗用車を含む)ボデー架装台数は月平均63台で、トヨタ車体の108台と合わせて171台になるが、それでもトラック・シャシーの月平均生産台数354台に対して43%にとどまった。つまり、半数以上のシャシーは販売店を経由して、各地方の業者によりボデー架装されていたことになる。トヨタ自工としても、ボデー架装の実態を正確に把握できていなかったのである。

当時の自動車事情をトヨタ技術会の会報『トヨタ技術』は、次のように伝えている。

然し乍ら世情は吾等の期待した通りにはゆかず、最も簡便なる乗用車の必要から、需要者の間にはSBシャシーに乗用車のボデーを架装することが盛んに行われはじめた。之は設計者にとって思いもかけないことで、敗戦日本が車をつけて走り出したかと思うようなこの出現には全く驚いた次第である。2

戦後、日常生活や経済面で何かと不自由を強いられるなかで、トラック・シャシーに乗用車ボデーを架装するという奇想天外の需要が旺盛になり、シャシー・メーカーとして戸惑いを隠しきれない様子が見てとれる。

トヨタ自工の乗用車シャシー生産台数と、トヨタ自販の乗用車販売台数を比較すると、表1-23のとおりで、1952年までは乗用車の販売台数が乗用車シャシーの生産台数を上回っていた。上記の引用に見られるように、トラックとして出荷したシャシーに乗用車ボデーが架装され、乗用車として販売されたためである。

表1-23 乗用車シャシー生産台数と販売台数(1950~55年)


乗用車シャシー生産台数(a)
乗用車販売台数(b)
b-a
1950年
463
548
85
1951年
1,470
1,718
248
1952年
1,857
2,102
245
1953年
3,572
3,530
△42
1954年
4,235
4,217
△18
1955年
7,403
7,055
△348

1951年10月にはSG型トラックとシャシーを共用するSF型乗用車が発売された。その際、トヨタ自工では、乗用車ボデーの架装メーカーを荒川鈑金工業(SF型)、関東自動車工業(SFK型)、中日本重工業名古屋製作所(SFN型)の3社に定めた。SG型トラックは翌1952年3月に発売されたが、同車種については、乗用車ボデーの架装を原則取り止めとした。その結果、乗用車ボデー架装業者のなかには廃業を余儀なくされるところも現れ、既述のように、1953年には日本ボディーが解散した。なお、( )内の車両型式は、架装メーカーを識別するために設定した型式名である。

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